出典:JNN
日活の大スターとして人気だった、俳優の宍戸錠さんが亡くなったことが明らかとなりました。
今回は、宍戸錠さんの死因の病気、過去の自宅の火事や結婚した妻や子供などについて迫ってみたいと思います。
宍戸錠さんが死去される
JNNニュースほか、メディア各局が以下のようなニュースを報じ、話題となっています。
俳優の宍戸錠さんが、東京都内の自宅で亡くなりました。86歳でした。
関係者によりますと、俳優の宍戸錠さんは東京・世田谷区の自宅で倒れているのが見つかり、21日午前1時半ごろ、家族が119番通報しました。警察官や救急隊が駆けつけましたが、現場で死亡が確認されたということです。病死とみられています。
宍戸さんは日活ニューフェイスに第一期生として入所し、1955年に映画「警察日記」でデビュー。その後、トレードマークとなる頬を膨らます手術を行い、アクションスターや悪役として活躍しました。「渡り鳥」や「流れ者」シリーズなど日活アクション映画に数多く出演し、「エースのジョー」の愛称で親しまれました。映画のほか、NHKの大河ドラマなどにも出演したほか、料理番組のレポーターを務めるなど広く愛されてきました。
出典:JNN
宍戸錠さんについて
こちらが、宍戸錠さんのプロフィールです。
出典:NHK NEWS WEB
名前:宍戸 錠(ししど・じょう)
生年月日:1933年12月6日
年齢:86歳(※享年)
出身:大阪府大阪市北区
身長:174cm
血液型:B型
職業:俳優・タレント・司会者
ジャンル:映画、テレビドラマ
学歴:宮城県白石高等学校卒業→日本大学藝術学部演劇科中退
宍戸錠さんは、映画「警察日記」でデビューするなど174cmの高身長と、甘いマスクで2枚目路線の俳優として活躍した人物です。
もともと、大阪府で生まれ育ちましたが、5歳の時に東京都へ引っ越したそうで、父親が工作機械を扱う会社を起業して独立した影響と、満州事変の特需で250万円を儲け、非常に裕福な家庭であったそうです。
250万円というと、貨幣価値でおよそ60億円ほどだったと言われております。
そのため、東京の家も1300坪の広大な敷地があったと言いますが、宍戸錠さんが小学6年生の頃に東京大空襲で自宅が全焼し、宮城県へ疎開したと言います。
宮城県の高校を卒業ののち、大学は早稲田大学に進学をしたかったそうですが、試験に失敗したために日本大学の芸術学部を受験し、見事に合格しました。
しかしながら、2年の時に日活(日本の映画制作会社)に合格し、1954年、「日活ニューフェイスの第1期生」として入所したために、大学は中退をしております。
1955年、映画「警察日記」で、若い巡査役として銀幕デビューを果たすと、その後は、数多くの映画やドラマに出演をしており、日活アクション映画の需要もあって、「エースのジョー」という愛称で、親しまれておりました。
2006年に虚血性心不全という病に冒されてから、芸能活動は自粛をしており、さらに、2010年には元女優でエッセイストの妻・宍戸游子(ししど・ゆうこ)さんが、77歳という若さで死去をするなど、プライベートでも不運であったとのことです。
さらに、2013年には、自宅が全焼する火事が起こり、そこからは家賃12万円のアパートに一人暮らしをしていたそうです。
宍戸錠の死因の病気は何?虚血性心不全の可能性は?
では、宍戸錠さんの死因は一体何だったのでしょうか?
宍戸錠さんは、自宅で倒れているところを発見されており、おそらくは病死であるとのことです。
詳しい死因は分かっておりませんが、2006年には虚血性心不全で倒れており、手術で一命を取り留めるという過去もありますので、もしかすれば、虚血性心不全が直接的な死因だったのかもしれません。
「虚血」とは「心臓に血がない状態」を意味しており、つまり心臓に十分に血が回っていない状態のことを指す病名で、過去には数多くの著名人もこの虚血性心不全で亡くなっております。
そもそも、心不全とは心臓が動かなくなった状態のことを医学用語でありますから、全ての人間が心不全で亡くなったといっても、間違いではありません。
虚血性や急性、慢性など、心不全にも種類がありますが、過去に患った経験があることを踏まえると、宍戸錠さんの死因が虚血性心不全が死因の病気である可能性は高いかもしれません。
宍戸錠さん、自宅の火事は放火だった?
そんな宍戸錠さんでありますが、2013年に自宅が火事で燃えるという悲劇に見舞われております。
もともと、1966年に有名な建築家さんの手によって東京都世田谷区祖師ケ谷4丁目に建設された豪邸は、501平米の敷地に2階建てという何とも立派な様式美だったそうです。
そこで、結婚生活や3人の子供(宍戸開さん、宍戸史絵さん、宍戸表さん)を育ててきたのでありますが、2013年に突如として全焼する火事に見舞われました。
出火原因はいまだに明らかとなっておりませんが、宍戸錠さんは当時のインタビューにおいて、放火の可能性を示唆しております。
宍戸は、前夜は一睡もできずに憔悴(しょうすい)した様子だったが、気丈に取材に応じた。出火原因は不明としながら「誰かが火を付けたのだろう」と、放火の可能性を示唆。
出典:日刊スポーツ
出火当時、宍戸錠さんのご自宅には宍戸錠さん1人しか暮らしておらず、愛する奥さんは2010年に死去しておりますから、一人暮らしだったと言います。
芸能人の自宅で、一人暮らしだったということに加え、当時は外出中であったため、もしかすれば、放火犯に狙われてしまったのかもしれません。
宍戸錠さんの結婚した妻や、3人の子供について
宍戸錠さんは、1962年にエッセイストで女優の宍戸游子さんという方と結婚をしております。
出典:Twitter
1963年には長女の宍戸史絵さんが誕生し、1968年には長男の宍戸開さん、そしてその数年後に次男の宍戸表さんが誕生しております。
出典:千のブログ
宍戸開さんは、父親と同じく俳優をしており、NHKの大河ドラマや民放各局のドラマに出演をした経験もあり、さらには、顔の濃さを理由に映画「テルマエ・ロマエ(2012年)」ではアントニヌス役に任命されるなど、日本を代表する俳優としても知られております。
長女の宍戸史絵さんは、エッセイストとして現在は「紫しえ」という名前で活動をしております。
フランス大使館にてGOLD CHEF CLUB×COLLETにお招き頂きました。#goldchefclub#紫しえ#murasakishie#フランス大使館# pic.twitter.com/i1xPmxIfN8
— 紫しえ (@essayistSHIE) 2019年2月21日
20年前には、妊娠中に子宮 頸(けい) がん見つかり、子宮も赤ちゃんも失ったという経験がある長女の宍戸史絵さんは、自身の経験から子宮がん撲滅運動の為、一般社団法人ティール&ホワイトリボンプロジェクトのアドバイザリーボードメンバーに就任し、エッセイ、講演会等で活躍をしているとのことです。
宍戸表さんに関しては情報が少なかったので、よくわかりませんでした。
いずれにしても、亡くなった亡くなった宍戸錠さんについては、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
宍戸錠さんの自宅の火事現場についてはこちらから
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