出典:デイリースポーツ
ドラマ出演やクイズ番組の司会などで知られた俳優の高島忠夫さんが26日、老衰のため自宅で亡くなっていたことが明らかとなりました。
今回は、高島忠夫さんの死因やお別れの会の日時・場所、長男殺害事件などについて迫ってみたいと思います。
高島忠夫さんが死去
日刊スポーツほか、メディア各局が以下のようなニュースを報じ、話題となっています。
俳優高島忠夫さんが26日13時1分、老衰のため自宅で亡くなっていたことが分かった。88歳。28日、所属事務所が発表した。27日、家族のみで密葬をとり行ったという。お別れの会などの予定はない。
「イエーイ!」のフレーズやテレビ番組の司会、映画「キングコング対ゴジラ」などで知られた。明るいキャラクター、歌って踊れる二枚目として人気だった。妻は宝塚歌劇団の元男役トップスター寿美花代で、高嶋政宏、高嶋政伸の子供たちも俳優として活躍、芸能一家としても知られる。
出典:日刊スポーツ
高島忠夫について
こちらが、高島忠夫さんのプロフィールです。
出典:愛媛新聞オンライン
名前:高島忠夫(たかしま ただお)
本名:高嶋忠夫
生年月日:1930年7月27日
年齢:88歳(※享年)
出身:兵庫県武庫郡(※現在の神戸市)
身長:181 cm
血液型:O型
職業:俳優・タレント・司会者
ジャンル:舞台・テレビドラマ・映画
所属事務所:東宝芸能
家族:妻・寿美花代、次男・高嶋政宏、三男・高嶋政伸
高島忠夫さんは、兵庫県武庫郡御影町(現在の神戸市東灘区御影町)に4兄弟の長男とした誕生しました。
祖父が大地主であったため、不動産収入があり、そのため父親が生涯定職に就いていないという極めて稀有な家庭に育ったと言います。
関西学院高等部に入学をすると軽音楽クラブに所属し、音楽に興じていた影響もあって、1951年に映画会社新東宝のニューフェイス「新東宝スターレット」の第1期生として芸能界入りを果たしております。
21歳で上京をすると、劇団俳優座に所属し俳優の勉強とボイストレーニングをした努力が実を結び、1950年代から1960年代にかけて数多くの映画作品に出演をしております。
また、映画やドラマのみならず「クイズ・ドレミファドン!(フジテレビ系列)」や「アメリカ横断ウルトラクイズ(日本テレビ系列)」の総合司会を務めるなど、バラエティ番組にも積極的に出演しており、ドレミファドン!で生まれた「イエーイ!」というフレーズは高島忠夫さんの代名詞ともなっておりました。
寿美花代さんと結婚しており、芸能界きってのおしどり夫婦としても有名で、2人で司会を担当した日テレ系料理番組「ごちそうさま」は1971年のスタートから、およそ26年間も続く人気番組となっておりました。
死因の老衰とはどのような症状?
では、高島忠夫さんの死因は一体なんだったのでしょうか?
報道機関の発表によれば、高島忠夫さんの死因は老衰であるということですが、寿命による脂肪と捉えても間違いないのではないでしょうか?
厳密に言えば、多臓器不全によって正常な生命活動の維持ができなくなることが原因であり、これを老衰死と言うのですが、年齢を重ねたことによる老化で人体を形成する細胞や組織の能力が著しく低下し、多臓器不全により生命活動の維持ができなくなり亡くなったと判断された場合は、死亡診断書に直接的な死因として「老衰」と描かれることがあるのだそうです。
老衰は、90歳代前半の死亡者数としては全体のおよそ11%にもおよび、比較的多くなっていることが明らかです。
多臓器不全に至る原因でありますが、1970年には暴飲暴食によって糖尿病を発病していたほか、2010年には不整脈のため心臓にペースメーカーを取り付ける手術なども行なっており、多臓器不全に至るような持病を抱えていたことが原因なのではないかと考えられます。
葬儀・告別式の日程や場所は?
高島忠夫さんの葬儀や告別式の日程や場所はどのようになっているのでしょうか?
2019年6月27日に家族のみで密葬を行なっていたということで、すでに葬儀は行われていたということになります。
葬儀は葬送の儀式ということで、仏教であれば死者を成仏させるための儀式であり、一般的にはその後遺骨にするために火葬が行われます。
基本的には通夜→葬儀・告別式→火葬→初七日法要などと法事は続いていくのですが、現代では家族葬というのが一般的になってきているため、近親者のみで執り行われたのだということです。
しかしながら、著名人の場合は多くの人と関係性を持っているということから、お別れの会や偲ぶ会などが行われると考えられます。
漫画家のモンキーパンチさん、ロックンローラーの内田裕也さん、女優の市原悦子さん、俳優の津川雅彦さん、朝丘雪路さん、森光子さん、歌手の美空ひばりさん、ZARDの坂井泉水さん、忌野清志郎さんなど多くの有名人が東京都港区にある青山葬儀所で行っておりますので、おそらく高島さんも青山葬儀場で行うのかもしれません。
基本的にお別れの会の日時のセッティングは、参列者のスケジュール調整がしやすいように、葬儀からおよそ2〜3ヶ月ほど開けて行われるのが一般的で、高島忠夫さんの場合ですと、2019年9月頃に行われるのではないかと思われます。
青山葬儀所について
出典:いい葬儀
青山葬儀所は、東京都港区南青山にある公営葬儀所で、東京メトロ千代田線の乃木坂駅から徒歩3分と好立地であることも特徴です。
アクセスのよい都心の一等地にある大型の葬儀場あるため、著名人や財界人など多くの人々の葬儀・告別式やお別れの会を取り行ってきたことでも知られております。
施設概要
式場:415㎡(祭壇部含む)300席
待合室:413㎡ 320席(最大450席収容)
配膳準備室など:78㎡
懇親会室:140㎡(約87畳)
遺族室:12畳、6畳、バス、トイレ、ミニキッチン
その他:ご遺体安置室(専用保冷設備有)、駐車場(最大65台)受付、クローク、更衣室など
利用料金
待合室を利用する場合:8時間ー69万円、4時間ー34万5千円
待合室を利用しない場合:8時間ー54万円、4時間ー27万円
青山葬儀所は公営の葬儀所であるため、火葬場は設置されておらず、宗教や宗派は問わず利用することができるほか、葬儀やお別れの会の内容も比較的自由度が高いため、著名人の場合では煌びやかな装飾や、生前故人が好きだったもので装飾がされるなどしております。
過去にはうつ病を発症
出典:Twitter
高島忠夫さんは1998年7月にうつ病を診断されており、その原因は後述をしますが長男の殺害事件にあると言われております。
自身の息子が殺害されるというつらい事件を忘れるための虚勢で仕事に没頭し、カメラの前で明るいキャラクターを演じていた高島さんですが、徐々に精神をむしばんでいき、重度のうつ病を患ってしまったのです。
高島忠夫さんがうつ病を発症したのは自身が68歳の時で、奥さんである寿美花代三谷、息子さんの高嶋政宏さん、高嶋政伸さん一家4人で、おyそ6年間に及ぶ壮絶な闘病を強いられることとなったのです。
壮絶な闘病生活の結果、2007年春頃には完全復帰をしており、こちら闘病生活の様子は、2007年に日本テレビが「うつへの復讐 〜絶望からの復活〜」というドキュメンタリードラマを制作し、当時の様子を伝えております。
高島忠夫の長男が家政婦に殺害される
高島忠夫さんは、1961年に当時の宝塚歌劇団の男組のトップスターであった寿美花代さんと結婚をしており、1964年に長男である高島道夫さんを授かります。
しかしながら、道夫さんが生後5ヶ月という幼い頃に悲劇が訪れます。
1964年8月24日、高島忠夫さんと寿美花代さんの自宅で働いていた10代の家政婦・Sさんという方が、「長男の姿が見当たらない」と高島夫妻に連絡を入れたことがきっかけで、事件は発生します。
通報を受けて駆けつけると、高島さんの自宅室内は何者かに物色されたような跡があり、風呂場では蓋の閉まった風呂桶の中に沈められている長男が発見されたのです。
事件は殺人事件と事故の両面で捜査が進められ、 Sさんは当時警察の調べに対して「当日夜に窓の外を不審な男が歩いてるのを見た」「長男が激しく泣いてるのを聞いた」などと供述をしております。
しかしながら、不審者の情報やSさんの証言が物的証拠や状況証拠と大きく食い違っていることから、不審に思った警察が問いただしたところ、Sさんが自らの犯行を認めたため、逮捕されます。
この家政婦Sさんは10代であったということで、少年法により実名や顔画像などは公開されておらず、当時インターネットなどもなかった時代ですから、特定すらもされませんでした。
その後1965年6月に行われた裁判で懲役3〜5年という不定期刑が処され、3年で仮出所したSさんは、さらにその2年後に結婚をしております。
2019年現在は72歳になるSさんですが、結婚して子供がいるということはお孫さんもいると思われる世代ですが、この高島忠夫さんが死去したことをどのように感じているのでしょうか?
この長男殺害事件によって高島忠夫さんはうつ病を発してしまうわけですが、Sさんは殺人犯でありながらのうのうと暮らしていき、高島さんだけが辛い思いをするというのはあまりにも胸糞が悪く、司法の甘さを痛感せざるを得ません。
家政婦の歪んだ感情が長男を殺害してしまった
もともとこの長男殺害事件の犯人である家政婦のSさんは高島忠夫さんと寿美花代さん夫妻の大ファンであり、ファンということが高じて地元新潟から単身で上京し、住み込みで高島夫妻の家の家政婦をして働いていたそうです。
そんなSさんに対して高島夫妻も当初は「よく頑張っている」として可愛がっていたのだそうですが、長男の道夫さんが誕生してからは、長男へ愛情が移ってしまい、自分は疎遠に扱われるようになったと勘違いしてしまった言います。
この頃からSさんには歪んだ感情が芽生えていき、高島夫妻が留守の際に「この赤ん坊さえいなければ高島夫妻の愛情は私に戻るのではないか」と突飛な発想をしてしまった結果、気がついたら長男を風呂に沈めていたというのです。
このままでは犯行がバレると思い、物取りの犯行に見せかけるために室内に荒らされた形跡を残し、カモフラージュしたのです。
こうした歪んだ感情さえ芽生えなければ、生後5カ月の赤ちゃんを殺人するという極めて残酷な行為に及ぶことはなかったと思いますが、Sさんも50年以上経過した今現在でも、当時をフラッシュバックし、トラウマでお風呂に入れないなどの現象が起こっているのかもしれません。
何れにしても、亡くなった高島忠夫さんや道夫さんには心よりご冥福をお祈り申し上げます。
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