プチエンジェル事件の犯人と真相が衝撃的!顧客名簿の闇の深さや少女のその後についても

事件

出典:Twitter

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2003年、小学生4人が東京都港区赤坂にあるマンションに監禁された事件を覚えているでしょうか。

幼い少女らをわいせつ行為、売春行為目的で監禁した吉野弘太郎容疑者の経営していた児童売春クラブの名前から”プチエンジェル事件”とも呼ばれるこの事件。吉野容疑者は遺体で発見され事件は閉幕のようにも見えました。しかし児童を買春していた顧客2000名の名簿が存在、その中には政治家や日本の経済を支える資産家の名前が掲載されていると噂されています。

吉野容疑者亡き現在、真相は闇の中に葬り去られました。

この記事では犯罪史上、最もパンドラの箱と称されるプチエンジェル事件についてまとめましたのでご覧ください。

”プチエンジェル事件”とは

事件は2003年7月上旬、被害に遭った女児の一人が吉野弘太郎容疑者と接触したところから始まります。

吉野容疑者は無店舗型のデートクラブ「プチエンジェル」を経営していました。このプチエンジェルではローティーンを「カラオケ5000円、下着提供10000円、裸体撮影10000円」という高給をちらつかせて雇い顧客と斡旋していました。

被害に遭った女児もはじめは吉野容疑者から”会ってくれたお礼”として1万円を受け取り、甘い誘惑に乗ってしまったと見られています。

その後女児はわいせつな仕事をしてお金を貰い、友人らに「渋谷でいいアルバイトがある」と持ち掛けました。吉野容疑者は紹介制度を敷いており小学生を紹介すれば1人3万円渡していたようで、女児にもこの話を持ち掛けていたと思われます。

そして2003年7月13日、女児は話を持ち掛けた友人3人と渋谷駅のモヤイ像前で吉野容疑者と待合せました。モヤイ像前に現れたのは吉野容疑者と”社長”と呼ばれていた男の2人でした。吉野容疑者は女児に「部屋の掃除を1万円でしてほしい」と依頼してタクシーに分乗させ監禁場所となった”インターナショナルプラザ赤坂No.1”に連れて行きました。

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4日間の監禁生活

出典:Google Map

渋谷駅からたタクシーでインターナショナルプラザ赤坂No.1に連れてこられた女児3人。吉野容疑者は11階の部屋に女児らを通しますがそこで態度が一変します。

「どうしてここにきたか分かるよね?」

スタンガンを片手に吉野容疑者は女児らを脅迫して手錠をかけて部屋に監禁しました。

吉野容疑者は洋室に2人、脱衣室に2人を20リットルのポリタンクや鉄アレイを身につけさせて逃げられないようにしています。それでも逃走を試みた少女がいましたが吉野容疑者に捕まりその際にスタンガンで背中に怪我を負わせられています。

 

捜索開始

プチエンジェル事件

出典:Twitter

2003年7月13日夜、女児らの家族が帰ってこない娘たちの身を案じて捜索願を警視庁多摩中央署に届け出ました。

女児らはいづれも”近所のスーパーに行ってくる””体育館に遊びに行く”と伝えていましたが、捜索願を受理した警察は以前から買春行為で目をつけていた吉野容疑者の犯行だと推測しました。そして2002年に吉野容疑者が起こしていた中学生の買春事件で逮捕状を請求し発見次第いつでも逮捕できる状況を整えました。

 

女児らを確保

監禁から4日経とうとしていた2003年7月17日、インターナショナルプラザ赤坂No.1に隣接する生花店に監禁されていた女児1人が駆け込みます。

女児はかけられていた手錠を外し吉野容疑者の声がしなくなったこと見計らい逃走を図りました。

女児から事情を聴いた生花店の店員は110番をし駆け付けた警察官によって駆け込んできた女児とマンションにいた女児3人を無事に確保しました。

警察は女児らを病院に搬送しましたが、中にはパニックに陥っている子もおり自分の名前を言えない状況だったと言われています。

そして16時半には家族と対面して18時には自宅に帰ることができました。

 

吉野容疑者を確保、しかし…

プチエンジェル事件

出典:Twitter

女児らを監禁した吉野容疑者は女児らの確保とともに警察に発見されました。しかし警察が吉野容疑者を発見した時にはマンションのリビングで目張りをして練炭を燃やし吉野容疑者は息絶えていました。

警察はこれを自殺と断定。被疑者死亡のまま後に書類送検しています。

しかし報道メディアはこの自殺を不可解だとして報じていました。日本テレビ「真相報道バンキシャ!」ではビニールで目張りをしてその中で練炭を燃やした場合、ビニールの中が高温になりその温度でビニールが溶けるということを検証して報道していました。

さらにはビニールが溶けなかったとしても吉野容疑者自身の体に何かしらの火傷が残るはずだという推測を出しましたが、吉野容疑者には外傷はなかったとされています。

また吉野容疑者はその前日にも理解しがたい行動にでていました。

女児らの行方不明を伝える報道がされ始めた7月16日、吉野容疑者は派遣風俗店に電話を入れました。その風俗店に吉野容疑者は女児らの前で性行為に及びたいと話したとされています。

「今、めいっ子といて、その友達の少女たちも一緒。場所は赤坂のマンションだ」と話す男は「少女たちに、大人の人が○○○なことをしているところを見せたい。おたくの店から女の子を派遣してほしい。僕と女の子の本番を見せたいんだ」と要望を伝えてきた。

出典:東スポWEB

吉野容疑者は”今日しかない”と言いなかなか食い下がらなかったようです。

まるで17日に事件が発覚することがわかっていたような発言にも受け取れます。それともすでに風俗店に電話を入れた時には自殺をする覚悟を決めていたのでしょうか。

この一連の流れを経てプチエンジェル事件は世間から周知されることになりました。

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死亡した”吉野弘太郎”

エリートだった

プチエンジェル事件

出典:Twitter

吉野弘太郎容疑者の父親は警視庁警察官のい経歴を持ちその後朝日新聞の西部本社社会部長を務める人物でした。

そのため吉野容疑者自身も非常に裕福な家庭で育ってきたと見られています。

吉野容疑者自身は芸術大学の雄、東京芸術大学に進学します。しかし大学在学中は複数の女性と交際するなど淫らな生活を送っていたようです。

そのころからロリータデートクラブに入り浸っておりその界隈では顔なじみになっていました。

そして吉野容疑者は売春斡旋に手を出しロリータクラブである”プチエンジェル”を開業しました。

”プチエンジェル”は莫大な利益を生み出していたと見られ吉野容疑者は高級車フェラーリを2台、そして自身は高級ホテルで生活をしており資産額は35億円もあったと言われています。

 

家族が自殺

ただ吉野容疑者の生活は決して満足のいくものではなかったようです。

1996年、エリート街道まっしぐらであった父親が難病の頭頸部ジストニアを発症します。その病苦からなのか父親は自殺という自ら命を絶つ選択をしました。

そして後を追うように兄が自殺、母親も自殺未遂を図りました。さらに吉野容疑者本人も重いアトピー性皮膚炎に悩んでいたようで「死にたい」と周囲に漏らしていたと言われています。

精神的に疾患がある家系だったのかもしれません。

 

当時、指名手配されていた

吉野容疑者はプチエンジェルを経営する前に主婦に売春行為をさせる犯罪組織を仕切っていたことが明らかになっています。

その中で自身も女子高生2人と買春しており逮捕、起訴され執行猶予中の身でもありました。

2002年も女子中学生との買春行為がしておりわいせつ事件の界隈ではそれなりに目立っていたのだと思われます。

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闇が深い”顧客名簿”

捜査打ち切りは圧力か

事件後、埼玉県久喜市で吉野弘太郎容疑者が借りていたアパートに警察のメスが入りました。アパートの部屋からは1000本以上のビデオテープ、そしてプチエンジェルを利用していた顧客の”名簿”が押収されました。

報道メディアはこの名簿の中に医者、弁護士、政治家など大物がいたと報じました。しかし警察が”名簿の大半は偽名だった”と発表すると報道メディアも次第にプチエンジェル事件について報道しなくなり事件は終わったかのように扱われました。

また女児らを渋谷駅からインターナショナルプラザ赤坂No.1に吉野容疑者と連れてきた”社長”と呼ばれる男の存在をはじめ、複数人がこの事件に関与していると見られていましたが最終的には”吉野弘太郎、単独による事件”とされています。

これにはマンションに出入りしていた男の中に警視庁幹部の息子がいるということが後に捜査官によって明かされています。

そのため捜査が打ち切りのような形で終了したことも裏側からの圧力がかけられたからだと見られています。

 

大物政治家の影

さらに報道メディアの動きも奇妙なところがありました。当初は赤坂で事件があったことを伝えていたメディアでしたが事件の真相が明るみになるにつれて”渋谷で起きた事件”と発生場所を変えて報じていました。

東京都港区赤坂といえば議員宿舎や首相官邸など日本政府にとって重要な施設が立ち並ぶ地域です。女児らが監禁されたインターナショナルプラザ赤坂No.1はそのような一等地にありましたが、問題視されたのはマンションを持つ団体でした。

インターナショナルプラザ赤坂No.1を所有していたとされる団体が陸山会です。陸山会とは政治家である小沢一郎氏の資金管理団体であり過去には6億越えの所得を隠していたことで騒動になりました。

この陸山会の所有する建物がインターナショナルプラザ赤坂No.1の周囲に集中しておりこのことからインターナショナルプラザ赤坂No.1も陸山会が所有していたのではないかと見られたのです。

 

吉野はトカゲのしっぽか

数々の不可解な点を残しながらプチエンジェル事件は吉野容疑者の単独犯行として終幕しました。

しかし偽名だったため捜査しないとする名簿、吉野容疑者以外の男、ちぐはぐなメディアの報道など説明しきれない箇所は山ほどあります。

吉野弘太郎という男は真実を隠すために切り捨てられたとしか思えません。


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中国マフィアの暗躍

殺されたフリージャーナリスト

染谷悟

出典:Twitter

プチエンジェル事件を個人で追っているフリージャーナリストがいました。柏原蔵書という男性です。

柏原さんは組織的な児童買春事件について調査を行っており、プチエンジェル事件もその一連の中で調べていたようです。

しかしプチエンジェル事件から2ヶ月後、柏原さんは背中を数か所刺されて死亡し東京湾で浮かんでいるところを発見されました。

警察の調べでは柏原さんの身の回りにはプチエンジェル事件の以前から嫌がらせ行為が横行しており、今回の事件もその嫌がらせをするグループの犯行であろうと見られました。

しかし柏原さんの遺体が見つかって数日後、インターネットの匿名掲示板である”2ちゃんねる”に柏原さんの知人を名乗る人物からの書き込みから自体が一変します。

その書き込みによれば柏原さんは死亡直前に「中国マフィアのしっぽを踏んでしまった」と漏らしていたそうです。このこと知人は「プチエンジェル事件を追ううちに中国マフィアと日本ヤクザの児童買春に行き当たってしまった」と解釈したと言います。

これが真実であるのならば監禁されていた女児らは中国マフィアに人身売買される目的で監禁されたということでしょうか。

柏原さんの殺害された事件も解明されていない現在では真実か嘘なのかもわからない情報です。

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被害者のその後

死亡?アイドル?

事件から16年。監禁されていた女児らも20代後半になっているかと思われます。

その後の女児ですがインターネットでは女児らの身元を特定しようとする動きがありまったく無関係の小学校や児童の写真が貼られるなど行為が横行しました。しかし特定には至りませんでした。

事件から5年後、とある噂が出回ります。それは監禁された女児のうち1人が顧客名簿に名前のあった芸能事務所関係者らと連れ立って歩きアイドルを目指しているものでした。

監禁された女児の中には手錠をかけられず室内を自由に移動できた人物がいると言われています。その女児は吉野弘太郎容疑者の指示によりATMで金を降ろしたりと外出もできたことが警察の捜査から明らかになっています。

アイドルを目指している女児というのはこの吉野容疑者に近かった人物なのかもしれません。

またほかの女児については”ひき逃げされ死亡”、”行方不明”など様々な情報が飛び交っていました。しかしどの情報も確証はなく被害に遭った女児のその後については依然として不明のままです。

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まとめ

ここまで2003年に発生したプチエンジェル事件についてまとめてきました。

女児4人が赤坂のマンションに監禁されましたこの事件、発生から4日経過して女児らは無事に保護されましたが犯人とされる吉野弘太郎容疑者はマンションのリビングで自殺を図り死亡した状態で発見されました。

警察は吉野容疑者の犯行と断定しましたが、マンションに出入りする複数の人物、顧客名簿の存在など疑問点が様々生じていました。

2019年、売春買春の拠点はSNSに移っています。現在でも毎日のように未成年と淫行をした大人のニュースが後を絶ちません。

もしかしたらその事件の数々の裏にもプチエンジェル事件のような深い闇が広がっているのかもしれません。

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