宅間守の生い立ちが壮絶すぎる!獄中結婚の相手や兄、父親、元嫁の末路も酷い?

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出典:AERAdot

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21世紀に入って間もなかった2001年6月8日。大阪府池田市にある大阪教育大学附属池田小学校に男が侵入し児童を次々と刃物で襲撃するという事件が発生しました。

この事件で逮捕されたのは宅間守元死刑囚。宅間元死刑囚には人生が上手くいかないことから他人を妬む感情が心の奥で揺らいでいたと言われています。

この記事では宅間元死刑囚の生い立ちと家族、そして前妻の関係についてまとめましたのでご覧ください。

”池田小事件”とは

出典:佐伯まおのブログ

まずは2001年に発生した池田小事件について見てみましょう。

2001年6月8日午前10時過ぎ、宅間守元死刑囚は犯行に及びました。宅間元死刑囚は自動車でまず正門に向かいます。しかし正門は閉じられていたため自動車専用門から出刃包丁と文化包丁を持って侵入しました。

ここで宅間元死刑囚は体育館の横で教職員とすれ違いました。しかし顔色一つ変えず職員とすれ違い、すれ違った職員も怪しい雰囲気ではなかったので振り返って確認をしなかったと事件後述べています。

そして宅間元死刑囚は教室に侵入します。最初の標的に選んだ教室はテラスから最も近い2年南組でした。同教室では当時担任教師はおらず侵入した宅間元死刑囚は5人の児童を出刃包丁で突き刺し殺傷しました。

その後、隣にある2年西組の教室へ向かい担任教師の前で3人を斬りつけました。担任教師は警察への通報を考え教室から走り去り、教師のいなくなった教室では児童が逃げ回り宅間元死刑囚は児童を追い回して次々と包丁で刺していきました。

10分間で児童、教師合わせて23名を死傷させた宅間元死刑囚。最後の一人を斬りつけると「あーしんど」と声を上げ副校長らによって取り押さえられました。

この事件で最終的に8人の児童が死亡し学校の警備の甘さが露呈するなど様々な問題が浮き彫りになりました。以降は全国で正門に”私用のない方の校内立ち入りは禁じます”という案内が掲げられました。

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遺族を罵倒する宅間語録

数々の事件から2年経ってようやく宅間元死刑囚の裁判が開かれました。初公判でこそ「命をもって償います」と反省の弁を述べていたものの以降の公判では悪態をつき遺族を挑発する言動を繰り返しました。

宅間「あははははははは!ほんまおもろい!ワシは死ぬことびびってないで。
遺族にはなにもできへんし最高や!、世の中どんなに金かけてもワシに一瞬に
して殺されれば勝ちも負けもあらへん!。世の中は公平やない!。わしは世の
中の不条理をあのくそガキにわからせてやったんや。ワシみたいにアホで将来
に何の展望もない人間に、家が安定した裕福な子供でもわずか5分、10分で殺
される不条理さを世の中に分からせたかったんや、世の中勉強だけちゃう
ぞ!、とあのくそガキに一撃を与えたんや、死ぬ前に世の中の厳しさが分かっ
てよかったな、感謝せいよ。ワシはいままで散々不愉快な思いをさせられて生
きてきた、でも、今日は、ほんま ワシは気分がええわ。ワシを悩ませた糞親に
も嫁の家族にも迷惑かれてな!親戚に守がいますなんて 千年たってもいえへん
な!こんなケッタイなおっさんに一瞬や!ぶすぶす事件は、ほんま!、おもろ
い!、ほれでも、ワシはまだ満足はしてないで!」

出典:宅間守まとめWiki

・・・遺族は泣きながら退場者もでる。
裁判長 「被告は不穏当な発言を控えなさい!」
かまわず宅間は暴言を吐き続ける。
宅間  「人間なんて一瞬で死ぬんやで!。ワシの人生の幕引きの道連れに、
ガキが死んだだけや!、そやからワシには反省や申し訳ない気持ちはないし、
後悔もない!。しょうもない貧乏たれの人生やったら今回のこのパターンの方
がよかったんや。あるんは自分への後悔だけや!。なんで、幼稚園にせんかっ
たんやろ?、幼稚園ならもっと殺せたと今でもこんなんことばかり考えてしま
うんや、なんで、ダンプにせんかったんやろ、その方が数もいけた!。親父を
殺しておればもっと違う人生があったかもしれん、○○(元妻)の顔をあの
時、ズタズタにしてやればよかった。何でせえへんかったんやろと今でも、ほ
んま、後悔しとる。まあ、いずれにせよ、こんなひどい人生に終止符を打てら
れて、ほんま、幸せや!。死刑は、はようにしてな!、そや、裁判長、死ぬ前
日はうまいもんでも食いたいが、ワシ、うまいもん、食べれるやろうか!」
・・・混乱を極める室内。裁判長が退廷を命じる・・・

出典:宅間守まとめWiki

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異例の死刑執行

最後まで謝罪の念を述べずついには退廷させられた宅間元死刑囚。宅間元死刑囚が退廷した後、裁判長は”死刑”判決を下しました。

弁護側は精神的問題を理由に控訴を訴えますが宅間元死刑囚自身が控訴を取り下げ死刑が確定しました。

大阪拘置所に収監された宅間元死刑囚は故飯島愛さんの「プラトニック・セックス」を窓辺で愛読していました。そして刑務官をインターホンで呼び出すと裏ビデオの入手方法や性交した女性の話など下ネタを一方的に話してきたそうです。

そして収監から1年ほど経過した2004年9月14日、宅間元死刑囚の刑が執行されました。現在死刑までの期間は平均5年ほどとされています。この数字と比較すると宅間元死刑囚の死刑までの期間は異常に短いことがわかります。

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宅間守という人間

エリートへの激しい憎悪

「宅間守」の画像検索結果

出典:AERAdot

1963年11月23日兵庫県伊丹市生まれの宅間守元死刑囚。薩摩藩に従う下級武士の末裔で警察官やそれに準ずる職業を輩出する家系でした。

しかし父親は最終学歴小学校でしたが「自分は薩摩武士だ」というプライドを持ち家では木刀を持ち歩いていました。そして度々宅間元死刑囚を含め家族全員に暴力を振るっており宅間元死刑囚自身は父親のことを何度も包丁で刺して殺してやりたい、と思っていたようです。

一方、母親は家事・子育てが苦手な人物で宅間元死刑囚が生まれる前から「これはあかん」「おろしたい」と宅間元死刑囚を嫌悪している節があり生まれてからは存在を無視されるネグレクト状態が続きました。また宅間元死刑囚が中学受験を決意したその時には「お前なんかが受かるわけない」「お前なんか産まなきゃよかった」と罵っていたことが事件後押収された宅間元死刑囚のノートから明らかになっています。

元々母親は精神的に丈夫な方ではなく2016年に迎えた最期も精神系の医療施設で亡くなっています。1984年に宅間元死刑囚と共に精神病院にかかっているようですので30年近くを精神に病を抱えていたのだと思われます。

母親と同じく兄も精神の病気を患っていました。宅間元死刑囚の兄は宅間元死刑囚の存在に心をむしばまれていき、事業に失敗したと偽って小刀で首を掻き切って自殺を図り亡くなりました。

宅間元死刑囚も向精神薬を服用していたことから家系的に精神を病むことが多い家系だったのでしょうか。

 

弱者には強かった宅間

あまり恵まれた家庭ではなかった宅間元死刑囚ですが、学校に行ってもいじめられる”いじめられっこ”でした。しかし自分より弱い人間には強く出ていじめる子ども時代だったといいます。また猫を新聞紙に包んで燃やし焼き殺すなど乱暴ものだったようです。

小学生のころから自衛隊に興味を持っていて「将来は自衛隊に入るぞ」と大声で叫んだり、軍歌を歌ったりしていました。

高校は尼崎の工業高校に進学しますが停学処分を受けその時の反省文に「自衛隊は内申書一切関係なしの一発勝負」と自衛隊入隊を志しているようでした。そして18歳の時には念願だった航空自衛隊に入隊しました。しかし入隊から1年ほどで”家出少女を下宿させ性交渉を行った”として除隊処分を下されています。

自衛隊を除隊されてからはいくつもの仕事を転々とします。プライベートでも非行に走り父親との喧嘩では殴り合いの末石で殴打することもありました。そのころに宅間元死刑囚は女性宅に押し入り強姦する事件を起こしておりこの事件で3年の懲役に服していました。

出所後も転職と刑事事件を起こしますが、精神障害を理由に全て不起訴処分になっています。


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4回の離婚と5回の結婚

憎しみの対象と感謝の対象

宅間守元死刑囚は死刑執行までに5回の結婚をしています。一度目1990年、医者と偽り看護師の名簿の片っ端から電話をかけて20歳年上の女性を半ば脅す形で結婚します。しかしすぐに医者という嘘がばれて数日で離婚してました。

2人目は作家・小松左京さんの妹で小学校時代の恩師でもある女性でした。この女性は非常に面倒見のよい女性だったようで再び強姦事件を起こし離婚した後も留置所に足しげく通い宅間元死刑囚の身を案じていたとされています。またこの女性は池田小学校の教師もしておりそのことを知っていて宅間元死刑囚は犯行現場に選んだ可能性もあります。

3度目の結婚は2歳年上の女性でした。この女性は非常に容姿が整っていたようで宅間元死刑囚のお気に入りの女性でした。しかし香港に旅行に行った際に通行人と喧嘩をする、浮気を疑う、騒音を気にするといった神経質なところが露呈してしまい女性の方から離婚を申し込まれることになりました。離婚以降宅間元死刑囚はこの女性に付きまとうようになり中傷のビラやいたずら電話を繰り返しました。しかし復縁には至らずこの時は珍しく泣きながら父親に電話をしたと言われています。

4回目の結婚はお見合いパーティで知り合った年下の女性でしたが宅間元死刑囚曰く緊急的な措置で頭悪い、見た目も良くないとその女性のことを罵っています。

結局宅間元死刑囚は女性を”体のいい家政婦”、”性欲処理の対象”という認識しかしていませんでした。しかし3度目に結婚した女性にはのめりこんだように見られますがその分離婚を突き付けられた憎しみは激しいものでした。

ワシはいままで散々不愉快な思いをさせられて生 きてきた、でも、今日は、ほんま ワシは気分がええわ。ワシを悩ませた糞親に も嫁の家族にも迷惑かれてな!親戚に守がいますなんて 千年たってもいえへんな!

出典:宅間守まとめWiki

親父を 殺しておればもっと違う人生があったかもしれん、○○(元妻)の顔をあの
時、ズタズタにしてやればよかった。何でせえへんかったんやろと今でも、ほんま、後悔しとる。

出典:宅間守まとめWiki

宅間元容疑者を凶行に走らせたのは親への憎しみと元妻への憎しみが生み出した世の中の生きる人全て妬みでした。全て宅間元死刑囚が他人に責任を擦り付けている自分勝手な振る舞いだと思いますが、そう考えることでしか自分を守ることのできなかった哀れな人間なのでしょう。

そして事件を起こし刑が確定した後、宅間元死刑囚は獄中で死刑廃止論者の女性と結婚します。初めは心を開かなかった宅間元死刑囚でしたが自分の気持ちに同調してくれる理解者だということがわかると次第に心を寄せていったようです。

刑執行の直前、最後まで被害者に謝罪の言葉はなかったもののこの女性には「ありがとう」という言葉を遺したと言われています。

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被害者のその後

事件から20年近く経過し被害に遭った児童もそれぞれ社会人となりました。それぞれこの20年間外傷とともに心の傷も戦ってきました。

NHKがそんな方たちを取材していました。

出典:クローズアップ現代

間一髪で救出された 荻野晋吾さん
「生きている以上、何かに本気になって取り組んでいく。
本気で生きていく義務は、すごいあるんじゃないかなと思った。
そのためには仕事とか、しんどいことも含めて、前向きに捉えてやっていかないといけないと思います。」

出典:クローズアップ現代

腹部を刺され重傷を負った村田さんは苦しむ人支える立場になりたいと不登校で悩む子どもたちのために学習支援をしています。

当時 2年東組 村田洋子さん(仮名)
「状況は違っても、苦しんでいる子どもがいたら、大人になったら、こう変われるよとか、私も、そういうことを経験したけど、前向きに生きられているよとか伝えて、一人でも救えたらいいなって。」

出典:クローズアップ現代

人生の一番大事な時に友人を失い自身もたくさん傷ついた池田小事件の被害者。しかしそれを糧にそれぞれ歩き始めています。

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まとめ

ここまで大阪教育大附属池田小学校で起きた児童殺傷事件についてまとめました。

2004年に刑が執行された宅間守元死刑囚。凶行に及んだ背景には両親への憎悪、結婚相手への憎悪が生み出した社会全体への憎しみと嫉妬がありました。

社会から邪魔者扱いされた、自分は社会に不要な人間なんだという考えが凶行を生み出すというのであれば一人一人が何か自分はここにいてもいい、という安心感を与えられるものを素早く提供できるサービスが必要なのかもしれません。

第二、第三の宅間守を生み出さないためにもまずはわたしたちが周囲に目を遣るべきなのだと思います。

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