雅子様の病気 適応障害の原因が酷い!若い頃のキャリア官僚の経歴や徳仁天皇との出会いについても

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出典:FNN

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令和に元号が改元されたと同時に、旧・天皇陛下は上皇陛下と上皇皇后陛下に、そして皇太子様と皇太子妃雅子様は、それぞれ天皇・皇后陛下になられました。

現・皇后陛下の雅子様はもともとは外務省で働くエリートキャリア官僚だったのですが、皇室に入られ皇太子妃として長年ご公務をされてこられました。

今回は、雅子様と天皇陛下との出会いや馴れ初め、適応障害という病気を患った事実と、現在の症状などを総まとめしたいと思います。

雅子様のプロフィール

こちらが、皇后になられた雅子様のプロフィールです。

出典:毎日新聞

名称:皇后雅子

続柄:小和田恆第一女子

全名:雅子

旧名称:小和田 雅子(おわだ まさこ)

身位:第126代天皇・今上天皇の皇后

お印:ハマナス

生年月日:1963年12月9日

年齢:(55歳※2019年5月現在)

学歴:マサチューセッツ州立ベルモント・ハイスクール→ハーバード大学経済学部

雅子様は、第126代天皇・今上天皇の皇后として2019年5月1日に即位された人物で、父親の小和田恆さん、母親の優美子さん夫妻の第1子として東京都港区虎ノ門にある国家公務員共済組合連合会虎の門病院にて、1963年12月9日に誕生されました。

父親の小和田恆さんは元外交官で第22代国際司法裁判所所長などを務めているエリート外交官であり、母親の小和田優美子さんは、水俣病を引き起こしたチッソ元会長江頭豊さんの長女というとんでもなく由緒正しい家柄であり、雅子様のルーツを辿れば、海軍将官や南部藩士といったところにも所以があるのだと言います。

雅子様の父親が外交官ということを前述しましたが、外交官という仕事の関係で雅子様は幼少期から海外で生活することがほとんであり、小学校から中学校を日本で、高校と大学は海外の学校を卒業されております。

雅子様の成績の方はといえば極めて優秀であったということで、高校時代にはアメリカ政府がアメリカ全体の上位5%の生徒にしか贈呈しないとされている賞の「National Honor Society(ナショナル・オーナー・ソサイティー)」を受賞していたり、ハーバード大学に在籍していた頃は、国際経済学を専攻しており、成績優秀な学生に贈られる「Magna Cum Laude(マグナ・クム・ラウデ)」を受賞するほどだったと言います。

ちなみに、雅子様が専攻していた経済学部では、この賞を受賞したのはたったの3名であったということで、全体の学生を合わせてもおよそ3%もの割合しかいなかったといいます。

1985年6月にハーバード大学を卒業した雅子様は、その翌年の1986年4月東京大学法学部の3学年に学士外部入学をしており、その年の10月には外交官試験にを突破しているためか、1987年には東大を中退して外務省に入省しております。

幹部候補生として中央省庁に採用された国家公務員の俗称として知られているキャリア官僚ですが、雅子様は日本の女性で初めてこのキャリア官僚となったとされております。

両親の影響によって海外生活などが長く、語学が堪能であった雅子様は、外務大臣が米国の国務次官との会談をする際の通訳として活動するなど活動をしており、現在の天皇陛下と結婚をされるまでのおよそ4年間、外務省のキャリア官僚として働いておられました。

その当時の皇太子さまのお妃候補が雅子様であるという報道が過激化していたのですが、1993年1月19日に皇室会議によって徳仁親王妃に内定し、1993年2月には外務省を退職しております。

現在の天皇陛下との結婚は、1993年6月9日のことで、その容姿端麗な姿とハーバード大卒の元外務省のキャリア官僚というのが、一気に世間の注目を集め、成婚パレードのテレビ中継の最高視聴率が79.2%、愛車の「トヨタ・カローラII」の売上が爆発的に伸びるなど、多くの社会現象を引き起こしたことでも知られております。

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結婚や出会い、馴れ初めについて

当時の皇太子様というのは、昭和天皇の直属の皇子であり、次期天皇の血筋であるということがメディアの報道を加熱させる原因にもなっており、事実、皇太子様であられた御年14歳くらいから、お妃候補は誰なのかという報道が過激化していきます。

お妃の候補を紹介するというのが実際にあったと言いますが、中川融さんという元外交官の方が小和田家の長女である雅子さまを当時の皇太子様に紹介したと言います。

こうして2人出会うこととなるのですが、東宮御所におけるスペイン・エレナ王女歓迎レセプションパーティーが1986年10月18日に開催されましたが、ここで初めて2人は出会ったいい、その後何回か食事会があったといい、そこで関係を深めていったのだと言います。

しかしながら、雅子様の母親である由美子さんの父親が水俣病を引き起こした企業の元会長ということで、交際の話は一旦流れてしまうのですが、それでも雅子様の思いを断ち切れなかった現在の天皇陛下は、一途に思い続けられており、1992年に再びプロポーズをしたと言います。

プロポーズ言葉は「一生、全力でお守りします」というものであり、雅子様は後の婚約後の会見で「心を打つ言葉」という風に振り返っております。

▼若い頃の雅子様のご様子

▼ご成婚前のご様子

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▼ご結婚際のご様子

▼御成婚パレードには沿道に20万人もの人が集まったと言います。

 

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ストレスにより適応障害と診断される

宮内庁は、2004年7月30日に正式に雅子様が適応障害という精神障害の一種であることを公表し、世間に大きな衝撃が走りました。

厚生労働省によれば、適応障害とは以下のように定義されております。

適応障害とは、ICD-10(世界保健機構の診断ガイドライン)によるとストレス因により引き起こされる情緒面や行動面の症状で、社会的機能が著しく障害されている状態」と定義されています。ストレスとは「重大な生活上の変化やストレスに満ちた生活上の出来事」です。ストレス因は、個人レベルから災害など地域社会を巻き込むようなレベルまで様々です。

出典:厚生労働省

抑うつ気分・怒り・焦り・不安という精神的な症状が現れるほか、動悸・多汗・めまいといった身体の不調も見受けられ、あまりにも強いストレスによってこれらが発症するとされております。

そして、この症状を緩和するには以下のようにしなければならないのだそうです。

ストレスとなる状況や出来事がはっきりしているので、その原因から離れると、症状は次第に改善します。でもストレス因から離れられない、取り除けない状況では、症状が慢性化することもあります。そういった場合は、カウンセリングを通して、ストレスフルな状況に適応する力をつけることも、有効な治療法です。

出典:厚生労働省

うつ病などと混同されがちなのですが、うつ病と違って適応障害というのは原因であるストレスから解放されればその症状が緩和するのに対して、うつ病は抑うつ状態などの症状や精神的に不安定な状態が長らく続くと言われております。

出典:ameba

雅子さまはの適応障害の発表は2004年なのですが、それ以前より公務を欠席する回数が多くなっていき、2000年を境にその兆候が見られていたのだそうです。

2001年12月1日に雅子様は愛子さまという第一子を出産されているのですが、1999年12月には一度流産をされるという経験をされており、これは12月10日に朝日新聞がスクープしたことによって発覚したのです。

そのことが公務を欠席する理由となっていたようで、流産の話も大きな話題となったのですが、流産をされた後の2000年7月頃のご公務も欠席されており、それから4年後の2004年7月に宮内庁より「適応障害」というのが公式に発表されたのです。

これは2004年当時世間に大きな衝撃を与えたとともに、なぜ発達障害となってしまったのかというのが大きく取りざたされていましたが、当時の皇太子様の会見によれば雅子様の人格を否定されるような発言が確認されたということです。

殊に雅子には,外交官としての仕事を断念して皇室に入り,国際親善を皇族として,大変な,重要な役目と思いながらも,外国訪問をなかなか許されなかったことに大変苦悩しておりました。今回は,体調が十分ではなく,皇太子妃としてご結婚式に出席できる貴重な機会を失ってしまうことを,本人も大変残念がっております。私も本当に残念で,出発に当たって,後ろ髪を引かれる思いです。

雅子にはこの10年,自分を一生懸命,皇室の環境に適応させようと思いつつ努力してきましたが,私が見るところ,そのことで疲れ切ってしまっているように見えます。それまでの雅子のキャリアや,そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です

出典:宮内庁

これは宮内庁という保守的な立場にある省庁と、外務省出身の国際派の一面を持った雅子様に対する陰湿な嫌がらせであり、当時の皇太子様ご本人の口から直接「人格否定」という言葉出たために、日本政府や国民に対して大きな衝撃を与え、国内外のメディアでもセンセーショナルに取り上げられました。

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雅子様のストレスの原因とは?

では、雅子様が感じざるを得なかったプレッシャーやストレスの原因とは一体どのようなものなのでしょうか?

雅子様のストレスの原因に関しては、以下のようなことが言われております。

・結婚後の生活への不安

・公務への不安

・お世継ぎを産まなければならい不安

2004年当時は男性皇族が生まれておりませんでしたし、宮内庁側が男性皇族を強く求めるのも無理はありませんが、そのことがかえってプレッシャーとなってしまい、不安を生んだ結果、適応障害と診断されるまでになったのでしょう。

さらには、雅子様は海外生活が長かった分、結婚後の生活で海外に出向くことがなくなるのことも窮屈に感じているということも仰っておりました。

正直を申しまして私にとりまして,結婚以前の生活では私の育ってくる過程,そしてまた結婚前の生活の上でも,外国に参りますことが,頻繁にございまして,そういったことが私の生活の一部となっておりましたことから,6年間の間,外国訪問をすることがなかなか難しいという状況は,正直申しまして私自身その状況に適応することになかなか大きな努力が要ったということがございます。

出典:宮内庁

雅子様はバリバリのキャリア外交官として生活をしており、急に皇族として家庭に入ってしまったばっかりに、海外公務の少なさやお世継ぎへのプレッシャー、宮内庁からの人格否定などの様々な要因に起因して、ストレスを感じてしまったのかもしれません。

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雅子様の現在の病状は?

雅子様が「適応障害」と公表されたのは前述した通り、2004年頃であると言われており、2003年末の末からは本格的な療養生活を送っていると言われておりました。

療養は、ご実家である小和田家の別荘を使用していたということですが、その後は何度かご公務を行ったり休んだりを繰り返し、療養期間があまりにも長いことなどが相まって、「離婚論」「皇太子退位論」という不敬な情報が出たこともしばしばあります。

しかしながら、一歩一歩ではありますが、着実に回復傾向にはあるのだそうで、2016年2月の現在の天皇陛下のお誕生の際には、雅子様の体調について言及をしております。

皇太子さま:「雅子は治療を続けるなかで、体調に気を付けながら公私にわたってできる限りの務めを果たそうと努力を続けてきております

皇太子さまは雅子さまについて、去年のトンガ訪問や12年ぶりの園遊会出席などに触れ、「活動の幅を一歩一歩広げられてきている」と述べられました。

出典:ANN

さらに、2015年に行われた同窓会ではプライベートでも元気な姿を見せており同級生の方々も雅子様はリラックスしている様子だったと証言しております。

「昨年の同窓会では、雅子さまは急に用事が入ったそうで欠席されたのですが、今年はいらっしゃいました。生前退位の報道があった直後だったので、少し心配でしたが、とても笑顔で楽しそうな様子で安心しました」

「テレビなどで見るのと同窓会で会うときとは、雅子さまの表情は違いますね。普段の公務など、重くのしかかってくるものがあって大変だと思うので、同窓会ではいつもリラックスされている様子ですし、笑顔ですごく楽しそうです」

出典:週刊女性プライム

こうした中で、雅子様の病気は適応障害ではなく新型の鬱だったのではないかという説も飛び交い、見合った治療ができていないためにセカンドオピニオンを求める声も挙がっていたのですが、現在の天皇陛下がそれを否定しており、東宮職医師団に全幅の信頼を寄せているということです。

また、現在の雅子様と天皇陛下についてですが、ものすごく仲がいいということで、プロポーズの際に発した「一生全力で守る」という言葉を体現されているのだと言います。

「非常に仲がいい。お出かけのときなども後ろで聞いていると、雅子さまは皇太子さまに『――だよね』といったふうにリラックスした雰囲気で話していますよ」

 殿下の公務や執務が終わる夕方あたりから1時間程度、お二人で仲良くテニスをすることもある。

出典:AERA dot

世間やメディアでは病気や「人格否定発言」などに関してのガヤガヤ言われることが多々あると思われますが、陛下ご本人は、もちろん自分のパートナーであり最愛の人でありますから、病気と向きある雅子様を労ってらっしゃるのが伝わります。

結婚をためらっていた雅子様に対して陛下がかつて仰っていた「皇室に入られることにはいろいろ不安もおありでしょうけれども、雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから」という言葉を体現するかのごとく、家族で寄り添って歩んでいる姿は全国民の心に深く刻まれることでしょう。

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