令和は張衡の漢詩「帰田賦」が出典!張衡は1900年前に高度な地震感知器も発明していた

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出典:日本経済新聞

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日本政府の発表によって、2019年4月11日に新元号が令和であることが判明しました。

安倍総理によれば令和は日本古典である万葉集からの出典だということですが、この出典が実は中国の偉人、張衡の書いた「帰田賦」こそが出典なのではないかということが言われております。

今回は、この張衡の帰田賦が出典の理由などについて迫ってみたいと思います。

令和について

そもそも令和とは一体どのような由来や意味があるのでしょうか?

まず、出典となった万葉集の32種の序文をご覧ください。

天平二年正月十三日に、師(そち)の老(おきな)の宅(いへ)に萃(あつ)まりて、宴会を申(ひら)く。時に、初春(しよしゆん)の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぎ、梅は鏡前(きやうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(かう)を薫(かをら)す。加之(しかのみにあらず)、曙(あけぼの)の嶺に雲移り、松は羅(うすもの)を掛けて蓋(きにがさ)を傾け、夕の岫(くき)に霧結び、鳥はうすものに封(こ)めらえて林に迷(まと)ふ。庭には新蝶(しんてふ)舞ひ、空には故雁(こがん)帰る。ここに天を蓋(きにがさ)とし、地を座(しきゐ)とし、膝を促(ちかづ)け觴(かづき)を飛ばす。言(こと)を一室の裏(うら)に忘れ、衿(えり)を煙霞の外に開く。淡然(たんぜん)と自(みづか)ら放(ひしきまま)にし、快然と自(みづか)ら足る。若し翰苑(かんゑん)にあらずは、何を以(も)ちてか情(こころ)を述※1(の)べむ。詩に落梅の篇を紀(しる)す。古(いにしへ)と今(いま)とそれ何そ異(こと)ならむ。宜(よろ)しく園の梅を賦(ふ)して聊(いささ)かに短詠を成すべし。

出典:万葉集入門

この文にある、「時に初春の月にして、気淑く風ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす」という部分の赤文字の部分から抜粋されているということです。

令月というのは、陰暦2月の異称であり、何事を始めるにも良い月・めでたい月という意味もあるほか、和という字は平和の和でもあり、和やかや和らぐという意味もあることから、次の時代にぴったりな2文字であることでしょう。

万葉集とは日本古来の和歌集であり、全部で20巻もあるほか、奈良時代末期に作られたとされており、現像する和歌集では日本最古の和歌集として知られております。

奈良時代の朝廷である大和朝廷の皇族から、農民などの一般市民に至るまで幅広い人の和歌が掲載されていることからも、安倍総理や有識者による閣議決定の意向が見え隠れしております。

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安倍総理の言葉

「人々が心を寄せ集め文化を育む。
万葉集は日本最古の和歌集であり、天皇や皇族・貴族だけでなく、防人や農民など幅広い人が呼んだ。

つまり長い歴史と文化を育んだ和歌集と言える。そんな日本の国柄を引き継いでいく。

厳しい寒さのあとに春の訪れをつげ、見事に咲き誇る梅の花のように、
日本人が明日への希望を持つと共に、花を咲かせるような日本でありたいとの願いがある。

文化を育み自然の美しさを愛でることに感謝をしながら、平和で希望に満ちた未来を切り開く。」

出典:総理官邸

歴史ある我が国日本において、天皇や皇族といった貴族だけが優遇されるのではなく、万葉集のように全ての人々が平等に平和で愛に溢れて世界を目指していくということと、自然文化の美しさなど愛せるようにという願いが込められているということです。

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中国古典に由来していた?

今回、令和というのは万葉集という日本最古の和歌集からの出典であるということですが、過去の元号の出典はこれまでに判明しているだけで77こあり、すべてにおいて中国の古典に由来していました。

しかしながら、この平成から令和に変わるというタイミングで、日本政府や有識者会議は万葉集という日本古典から出典しているのですが、この万葉集も実は中国古典に由来しているというのです。

西暦78年から西暦139年まで活躍した中国の天文学者で数学者や地理学者、発明家、詩人などの一面をもつ張衡という人がいるのですが、この張衡の作品の中に帰田賦というのものがあります。

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帰田賦の原文

遊都邑以永久,無明略以佐時。徒臨川以羨魚,俟河清乎未期。感蔡子之慷慨,從唐生以決疑。諒天道之微昧,追漁父以同嬉。超埃塵以遐逝,與世事乎長辭。
於是仲春令月,時和氣清;原隰鬱茂,百草滋榮。王雎鼓翼,倉庚哀鳴;交頸頡頏,關關嚶嚶。於焉逍遙,聊以娛情。
爾乃龍吟方澤,虎嘯山丘。仰飛纖繳,俯釣長流。觸矢而斃,貪餌吞鉤。落雲間之逸禽,懸淵沉之鯊鰡。
於時曜靈俄景,繼以望舒。極般遊之至樂,雖日夕而忘劬。感老氏之遺誡,將回駕乎蓬廬。彈五絃之妙指,詠周、孔之圖書。揮翰墨以奮藻,陳三皇之軌模。苟縱心於物外,安知榮辱之所如。

出典:帰田賦

この漢詩の原文で赤く色付けした部分が、万葉集でいう「時に、初春(しよしゆん)の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぎ」にの部分に該当するのです。

万葉集は7世紀後半の759年からおよそ130年間の歌が記されているのですが、万葉集も当時の文化背景から考えて中国や漢詩の影響を色濃く受けておりますので、孫引きのような形となってしまいます。

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日本における中国文化の影響

古代の日本というのは、島国で孤立しておりましたので、大陸とりわけ中国や韓国などの文化を積極的に取り入れることがほとんどでした。

仏教や字体の表記、国の体制、文学、芸能に至るまで、当時は最先端だった中国大陸の文化の影響を色濃く受けており、それは万葉集にも言えることなので、厳密に言えば万葉集からの出典というのは、中国古典からの出典ということになるのです。

しかしながら、そのようなことを言い出すと漢字や元号そのもののが中国文化となっているために、全部中国のパクリだと言われてしまいますので、万葉集は日本オリジナルと考えて然るべきでしょう。

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張衡について

では、万葉集などに影響を与え現代の新元号にまで影響を与えている「帰田賦」と作成した張衡とは一体どのような人物なのでしょうか?

張衡と聞くと、歴史が好きな人はピンとくるかもしれませんが、中国後漢の時代の人物で、肩書きは政治家や天文学者、数学者、地理学者、発明家、製図家、文学者、詩人など幅広い活動をしていたとされております。

張衡の字名は平子で、世界最初の水力渾天儀や水時計、地動儀と呼ばれる地震感知器なども発明したことで知られております。

水力渾天儀は西暦117年に完成し、地震感知器に関しては132年であったにも関わらず、地上およそ500km先の地震も感知できるなど、凄まじく精度が良く、中国の中でも伝説的な人物であるとして知られております。

この地震計なのですが、8方向に龍の細工が施されているということで、地震が発生した場合、その方向の龍の口から玉が落下する仕組みで、地震が発生した方角を知ることができるという優れものです。

これを今から1900年ほど前に作成していたのですから、張衡という人物がどれだけすごいことか分かると思います。

また、張衡は天文学者や政治家、科学者としての一面もあるのですが、極めて高度な文章能力があり、文才に長けていたのだそうで、後漢の典型となる短篇の賦の祖となった言われております。

賦とは、漢の国を代表する文芸であり、日本の詩や和歌、短歌などに絶大なる影響を及ぼしたことでも知られております。

張衡が書く賦に関しては非常に風刺的であるということで、武帝をはじめとする前漢期の特徴を巧みに模倣すると共に、数学・天文・音楽などを多彩に取り入れた作品を多くリリースしております。

稀代の天才学者張衡の文章が、1900年もの時を経て日本の元号として蘇るというのは、何かロマンのようなものを感じざるを得ません。

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