松本知子(オウム真理教)のと子供の現在が衝撃!生い立ちや麻原彰晃との出会いについても

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2018年7月に地下鉄サリン事件の主犯など数々の事件を引き起こしたオウム真理教教祖、麻原彰晃(松本智津夫)の死刑が執行されました。

麻原の妻で教団幹部としての疑いがあった松本知子は松本明香里と改名し暮らしています。

教団との関わりは続いているのか明かしていきます。

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平成を激震させた大事件の一つとして数えられるオウム真理教が引き起こしたサリン事件。
当時教団の凶悪な運営手法や残忍な殺人の数々など人々の記憶に忘れられない事件としてその名が刻み付けられました。
事件を首謀したのが新興宗教団体「オウム真理教」のトップである麻原彰晃こと松本智津夫です。
その麻原の妻として人生を翻弄された女性が松本知子です。
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プロフィール

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  • 本名(ふりがな):松本知子(まつもとともこ)※現在は松本明香里(まつもとあかり)に改名
  • ホーリーネーム:マハーマーヤ正大師/ヤソーダラー正大師
  • 生年月日:1958年8月17日
  • 現在の年齢:60歳
  • 出身地:千葉県木更津市
  • 血液型:B型
  • 身長:不明
  • 体重:不明
  • 活動内容:1987年9月にオウム真理教へ入信。「薬剤師リンチ殺害事件」に関与したとして1995年に逮捕・起訴される。2002年10月15日出所。
  • 関係した事件:薬剤師リンチ殺害事件
  • 家族構成:夫(死没)・子供2男4女

麻原との出会い

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両親も祖母も教師という厳格な家庭に生まれた松本知子は、中学では生徒会の副会長をつとめ進学校の千葉県立木更津高等学校に進学するも大学受験に失敗して代々木ゼミナール代々木本校に通います。
ここであの麻原と出会うのです。

麻原は松本知子の隣の席で電車も一緒だったのです。

麻原からは「結婚は、前世からの約束だった。」アプローチされ、当初は「前世の記憶なんてない。馬鹿みたい。」とはねのけるも熱烈な口説きに根負けし交際が始まります。

結婚する前に第一子となる長女の妊娠が発覚。この時は1978年でした。

松本知子の親がこの事態を受けて結婚に大反するも、それを押し切る形で入籍します。

性格

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当初こそ麻原をはねのけていたものの松本知子は次第に麻原へ固執するようになります。

生まれた3人の子供(全て女子)よりも麻原への感情を優先していたという松本。

教師一家で厳格に育てられたその性格は、プライドが高く神経質だったそうです。

この頃すでに「オウム神仙の会」というオウム真理教の前身組織が千葉県船橋市の小さい彼らの家で稼働していたのですが、この時点では漢方薬局やヨガ教室を開くのみで宗教とは無縁のものでした。

貧しい生活の中、麻原は薬事法違反で逮捕されます。

ここから修行と称して道場にこもるようになり、宗教に傾倒。

麻原が家に帰らない日々が続く中で松本は対人恐怖症・外出恐怖症・強迫精神症といった神経症を発症します。

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松本の精神バランスは一気に崩れ、夫婦喧嘩の末の家出や怒鳴るなどといった場面が増えていきました。

このような状態では母親として子供達の面倒を見ることもままならなかったようで、実際に子供達は父親の方を慕い母親が取り乱しても味方しなかったと言います。

また、実家とも縁を切るような形で入籍しているので家出をしたところで行くアテもなく、結局彼女は家の中をうろつくにとどまるしかなかったようです。

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4女5男の子供達

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激動の人生を辿ることとなる松本家の子供達。麻原との間に松本は4女5男の子供を授かります。

両親の逮捕劇、世間を揺るがす事件、翻弄されるしかない子供達はどのような人生を歩んできたのか見ていきましょう。

松本美和(長女)

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1978年生まれ。長女でありながら、オウム真理教内で地位が低かった

ホーリーネームはドゥルガー。松本の血族が上位を占める教団内での地位は、正悟師で下から数えて3番目だった。母親の松本知子が、美和を毛嫌いしていたため、兄妹間で冷遇されていたと本人が証言しています。

役職は、流通監視省大臣で食事や衣類の管理を担当。

オウム真理教解散後…弟子達と全国を点々とし教団には関わらずにいたが、仕事・住む場所がなく結局は1人で車中生活を送る。

当時から重い精神疾患を患っていました。

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その後二度の逮捕歴があり、1度目は銃刀法違反で2000年4月に交通事故を起こした際にナイフを所持し車中に立てこもったため逮捕。翌年の二度目は2001年1月にスーパーで2万2千円相当の食料品を万引きし逮捕されています。

これ以後の消息は関東で一人暮らしをしてると言われており、教団とは全く関わりのない生活を送っています。

松本宇未(次女)

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1981年生まれ。教団内での地位や役職は不明。
しかし、ホーリーネームのカーリーから麻原に”カーリーちゃん”と呼ばれ親しまれます。
なお松本未宇は本人がSNSで使用している偽名であると、ブログに姉弟のエピソードを漫画にして載せる。

2000年に三女と共に弟(長男)を長女の元から誘拐未遂をする事件を起こし、逮捕。保護観察処分となっています。三女と弟(長男)とは現在も連絡を取り合っている模様。

親族間の闘争が取り沙汰される松本家の中で次女は、三女派とされているそうです。

松本麗華(三女)

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1983年生まれ。麻原とエジプトやインドに共に訪れるなど麻原の愛情を、一番強く深く受けていた。ホーリーネームは、アジタナーター・ウマー・パールヴァティー・アーチャリー。

麻原からは「遊びの女神」と呼ばれていました。

教団では若干11歳で正大師となる。これは松本知子や、麻原の第一愛人石井久子と同じ地位なのだとか。

役職は法皇官房長官を就任。

報道が過熱した当時、教団内で高い地位にいた為か取材陣に対して生意気な態度をとり話題となりました。

両親逮捕時、小学生だったが一度も小学校に通ったことがなく、麻原の子供達の中で、最も世間に顔を名前が報道された人物です。

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両親の逮捕後…教団の大人達に教団から離れる人を引き止める要員として利用され始め、遊び半分で行なった”観念崩壊セミナー”が次第に過激化、多くの重傷者を出すこととなりました。
次第に精神を病み、教団と距離を置くようになっていきましたが、現在ではテレビでのインタビューに本名・顔出しで出演し、SNSでの情報発信を行うなど活動は積極的であると言います。

松本聡香(四女)

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1989年生まれ、松本聡香は仮名であり、ホーリーネームも不明です。

教団施設(富士宮市)で生まれた為に神秘的な力を授かっているとされ、寵愛された三女よりも地位が高く麻原に次ぐ正報師だったそうです。

役職は謀報省の大臣、しかし実質は井上嘉浩が取り仕切る。あまりにも幼い中のこの抜擢は教団の希望の星だったということでしょうか。

両親の逮捕後…一家離散し、学校から入学拒否や地域住民からも退居を要求されるなどの被害に遭っ他、学校に通えるようになってからも暴言や暴力などのイジメを受け、教師からも差別的発言を浴びせられていたのだと言います。

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現在は1人で生活。

事件後に姉弟と一緒に生活したり、松本知子の出所後には母親と暮らしていましたが、教団との繋がりに嫌気がさしたために家出を度々行ったのだそうで、その後、未成年後見人としてジャーナリストの江川紹子さんが名乗り出たため、家族との絶縁に成功しております。

そうまでして縁を切りたかったはずが、結局彼女は教団関係者と接触し、新しい教団の立ち上げ話をすることになる

この事態を受けて江川さんは後見人制度を辞退、四女は自ら江川さんの元を去る形となった。

しかし、教団関係者とも上手くいかず三女頼るもここでも上手くいかなかったのだそうで、ネットカフェに1人で寝泊まりをしたり、ホームレスの経験もしたと言います。

名前不明(長男)

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1992年生まれ。初の男児誕生ということで、後継者としての称号である皇子・猊下を与えられる。ホーリーネームは鏡暉リンポチェ猊下。

1996年6月の麻原の逮捕後一度教祖についた経験もあります。

のちに「親族だから」と崇められることがなくなり教団施設から離れた場所で生活するが、学校への入学が許可されずやっと、入学を許可してくれた学校が見つかるも報道陣に学校を囲まれ騒動に。

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二度の裁判を起こし、自身が教団と関わりがないことを主張するもどちらも敗訴・棄却という結果に終わります。

2014年アーフレに対し自身の名前と写真を教団活動に使用されたとのことで訴えを起こすが、長男が教祖クラスしか参加できない儀式に参加した事実があるため敗訴しています。

2018年テレビ東京に対し番組内で自身が教団の次期トップと表現されたと裁判を起こすも、こちらは全面棄却されております。

名前不明(次男)

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1994年生まれ。長男と共に、1996年6月に教祖になるも長男と同じく教団から出て行くことになります。

小学校は他の兄弟同様通えず、1年生は1カ月のみで2年生から通い始めております。

そして、茨木県に移住すると現在は、母親の松本知子と一緒に生活をいたとの話があり、松本にもっとも近い家族とされております。

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麻原について

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教団教主として凶悪な事件を引き起こした麻原彰晃こと松本智津夫。

妻の松本知子を惹きつけ、その後教団を成立させカルト的行動を先導した背景には何があったのでしょうか?

生い立ち

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熊本県八代市にて1955年3月2日、9人兄弟の第7子として誕生。
右目は1.0の視力があったが、生まれつきの緑内障で左目は見えなかったと言います。
全寮制の盲学校に兄二人と共に入れられたこの時の経験が麻原の中で”親に捨てられた”として残っているのだと言います。

盲学校では片目が見えていたので態度が大きく、弱い立場の生徒に対して恐喝や暴力事件といった問題行動が目立ったそうで、当時から支配欲に似た上昇志向があったのか児童会長や生徒会長、寮長などに立候補するものの、全て落選したと言います。

医者になりたいと高校卒業後目指しますが、視覚障害者は医師免許が取れないため、大学進学を断念します。

そして視覚障害者でも取得が可能な鍼灸師の免許を取得できる高等部専攻科へ進学します。

一時は東京大学の受験を目指し1975年の盲学校を卒業時に上京するも、すぐに地元である熊本に帰郷します。

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しかし、東大受験を諦めておらず、1978年に再び上京し、予備校の代々木ゼミナールで妻となる松本知子と出会うのです。

最終的に東大受験は諦め、妻と鍼灸院や漢方薬局を開業するも失敗しており、この際に保険費の不正請求と薬事法違反で逮捕されております。

この辺りから麻原は宗教思考に傾倒していき、1982年に西方祥雲に弟子入りを志願し、阿含宗に入退するなど、迷走を始めます。

1983年にオウム真理教の前身となる超能力開発の学習塾を開講しましたが、ここで松本知子との間にすれ違いが生まれております。

雑誌やテレビ番組への出演などで順調に信者は増えていき、学習塾が新興宗教団体へと変貌を遂げる中でオウム真理教の知名度は上昇していきます。

地下鉄サリン事件

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教団には有名大学教授や高学歴なエリートの者も多く、その信者たちに終末思想や世界征服を説いて多数の兵器開発を扇動する。そのメインとして動いていたのがサリンであり、その実験として死者7名を出す松本サリン事件を起こしてしまいました。

ポツリヌストキシンの製造もしていたが、こちらは散布実験に失敗。確実性を狙ってサリンが選ばれ他のです。

日本を激震させた地下鉄サリン事件に関しては、警察に目をつけられていた教団への強制捜査を回避する為、実行したと実行犯の信者の証言が多く残っています。

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地下鉄の丸ノ内線・日比谷線・千代田線を1995年3月20日午前8時頃のラッシュ時を狙って信者が神経ガス・サリンの液体が入ったビニール袋を持ち電車に乗り込み、それを傘の先で破裂させ散布させました。

そして、死者13名・負傷者6300名を乗客・駅員から出すという、史上最悪の化学兵器テロを引き起こしてしまったのです。

地下鉄サリン事件で逮捕された教団信者は40名にも登り、平成最大の事件とも目されるこの事件は世界中を震撼させ、同時多発テロが世界で初めて起こった事件だと言われています。

麻原の逮捕

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山梨県西八代郡上九一色村の教団施設内にて潜伏している所を、1995年5月16日に、逮捕されます。

死刑になればキリストなどの復活になぞらえてさらに教団が麻原を神格化するのではないかと危ぶまれる中、麻原は「死刑になっても構わない」「早く死刑を執行しろ」と裁判中に大声で訴えることもありました。

しかし、2002年2月25日の公判をもって、一転して麻原の異常行動が開始します。

糞尿をたれ流したり、奇声を発したり、裁判中であってもマスターベーションを行うなど意思の疎通が不可能となりました。

ですが、突然始まったこれらの行動は面会を行った人物によると詐病であり精神異常として減刑をするための演技だと言われており、裁判でも論点になっていません。

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これらの異常な言動は1998年2月に39.8度の高熱をだしてからはなくなり、以後車いす生活となります。
死刑判決確定後も衰弱の一途を辿り、2018年7月6日に死刑執行となりました。

死刑反対派の声

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麻原を含む教団関係者13名が死刑判決を受けた地下鉄サリン事件。

そして長らく拘置されていた受刑者たちは平成30年7月6日に、麻原を含む7名に刑が執行されます。

さらに同年7月26日に他6名も刑が執行されました。

凄惨凶悪な事件の全貌や、被害者家族の心境を思えばをこの死刑判決は最もだという世論の声が多数を占めたが、一方でこの死刑執行に対して、反対する意見もありました。

理由としては首謀者である麻原の口から真実が何も語られていない点です。

また、弁護士の見解として麻原の死刑執行時の衰弱状態が法律違反ではないかとする者もいました。

疑問を呈している人の中には戦後最大の死刑執行人数となる一斉に13名の死刑執行が行われたことに政治的な動きがあったと見る人もいます。

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麻原の女性関係

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麻原には教団内に多くの愛人がいました。

教団設立前から妻の松本知子がいたにも関わらず愛人を囲い、修行と称して肉体関係を結んでいた心底人を愚弄した男です。

では正妻の松本知子と数多くの愛人の関係を見ていきましょう。

石井久子との関係

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同僚の誘いで超能力学習塾に入会し、カルトの道に進んでいったのが石井久子です。

石井はオウム神仙の会で出家制度が誕生すると、会社を辞め出家しのちに第一の愛人として名をはせる事になります。

教団内で金銭の管理を任される役職につき(大蔵省大臣)は教団管理番号00001番で、早い段階で正大師となっています。

オウム真理教として活動を始めた教団に石井は麻原の妻である松本知子よりも先に入信し活動を開始しています。

麻原に心酔し身の回りの世話から教団の活動拡大まで尽力したのが石井です。

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教団の広告塔としての活動も行なっており、そのビジュアルから視線を集め教団の社会的知名度の向上に一役買っていたことは間違いありません。

麻原と石井の愛人関係を正妻の松本知子は、把握しておりそのために精神的に不安定になっては麻原を殴る、包丁を振り回すて怒るなどといった過激な行動を繰り返しました。

また、松本と石井間の喧嘩が起きることもあったそうです。

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石井はその深い教団とのつながりから、事件にも関与しており服役した人物です。
現在は父親と一緒に生活中で、出所後は精神を病んでしまったそう。
麻原との間には子供が3人おり、届出は私生児となっています。
言ってしまえば松本智津夫の戸籍上の伴侶は松本知子ですが、麻原の妻は石井と言えるのかもしれません。

複数の女性との関係

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100人を超えるとされる麻原の愛人はダーキニーと呼ばれホーリーネームに使用されています。

愛人の好みは黒髪ロングで、処女であることが条件でした。

入信の際に写真選考を行うのですが、正妻の松本知子、第一愛人の石井も黒髪ロングだったのです。

愛人との肉体関係は修行の一つとされ左道タントライニシエーションと呼ばれ、富士山総本部の第1サティアンと旧上九一色村の第2サティアンに囲っていました。

これだけの愛人を抱えておきながら麻原自身は「妻(松本知子)にバレたら殺される」と周囲に言っていました。

しかし当の松本知子本人はそれを既に知っており、性交渉中の部屋の外で落ち着きなく右往左往として不安定な要素を見せていたそうです。

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オウム真理教と正妻の関係

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松本知子は、自身も教団に入信以後、正妻としてオウム真理教を教祖麻原と共に支配して行くのです。どう支配していくのか見ていきましょう。

幹部としての一面

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1987年9月に入信した松本知子。

一時は経済的困窮に陥っていた松本家ですが、超能力学習塾の発展により経済的に楽になります。

また、麻原は信者から”尊師”と呼ばれ崇められるようになり、松本自身もそれに流された可能性があります。

松本知子は教団を大きくすることに寄与し、静岡県富士宮市に翌年1988年に家族で移住をしており、地位の方も順当に上がり、1989年10月に正悟師、1991年6月には、石井久子・次女(松本麗華)に続き、3番目の正大師になりました。

出版物の管理を行う郵政省の大臣となり株式会社オウムという出版会社の社長を務めあげました。

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夫婦関係はバランスが取れておらず、愛人問題でそれが一気に加速、麻原からの暴言や、女性信者との喧嘩、暴力暴言が後をたたなかったようです。

そのために教団内では問題児扱いされていました。

逮捕から出所まで

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「薬剤師リンチ殺人事件」という事件が1994年1月30日に起きます。
概要として、囲われた女性を助けようとした元信者2名と女性の家族がオウム真理教の富士山総本部に侵入。
しかし、その現場を信者に取り押さえられ、侵入した1人を、もう1人に殺させたという凄惨な事件です。

この事件は数ある教団の事件の中で唯一麻原が立ち会った殺人事件と言われています。裁判の争点は侵入した2名の処遇をどうするか、教団の幹部と麻原との話し合いの際に、松本知子が発言をしたのか、していないのかが問われました。

精神が不安定だった松本知子は妊娠中にも関わらず独居房に入れられました。基本は独居房に収監され、話し合いの時にだけ出されるという形でした。

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この幹部の話し合いの場に松本知子も同席させた理由は「松本知子が教団から出て行くことがあれば、麻原彰晃は自分の妻の精神コントロールもできないと、威厳を失ってしまうことを恐れ、自分の権力を松本知子に見せつけ、恐怖を植え付けようとしたのではないか。」と弁護側は弁護しました。

幹部信者の杉本繁郎や井上嘉浩の証言により、松本が発言をしていないとされているのは虚偽だとする検察側の主張が通り最高裁にて懲役6年の実刑判決が下されました。(遺族への謝罪と賠償が理由)

出所後に、松本知子はその名前の持つ犯罪者としての知名度から松本明香里(まつもとあかり)に改名を行いました。

アレフとの関係

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2000年2月に教団は破産を理由に消滅、松本知子自身も出所後は教団とは一切関りを持っていないと考えられていたが、実際には信者達が創設した後継団体と蜜月の関係が続いていました。

→アレフ・光の輪・山田らの会

その決定打となる報道が、アレフから絵画使用料として月々40万円が松本知子に支給されていたというのです。2006年にアレフに家宅捜索が入った際に発覚しました。この資金供給は2002年12月始まりました。

元教団信者からの資金提供と住居提供、1000万円もの生活資金提供を受けており、何不自由ない恵まれた生活を送ってい流のです。

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子供たちの今

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上記で述べた松本知子の子供は6人います。両親の引き起こした事件に翻弄され、人生を破壊されてしまったと言っても過言ではない彼らは事件後から現在までどのように生き抜いているのでしょうか。

三女の通学と進学

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教団に最後まで取り残されていた三女は、福島県に身の回りの世話をしてくれていた女性信者と移住します。

ここで学校に通わせようと試みるのですが、小学校5年生並みの知能レベルであり、それも災いし学校側から数多くの受け入れ拒否の声明を出されてしまいます。

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2004年3月に和光大学に合格。これは本人が元々の地頭がよかったことと努力家な性格のおかげで通信制(日出高校)からの進学に成功したのです。しかし、大学から入学拒否通知がくだり、これに三女は和光大学を提訴し、大学は40万円の慰謝料の支払命令を受けています。

一度は入学を拒否されますが、文教大学人間科学部臨床心理学科に入学ができ、2008年卒業。現在、日本産業カウンセラー協会や日本人間性心理学会に所属し、講演会を行なっています。

次男の進学

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次男も長女のように頭が良かったようで、難関の春日部共栄中学校を受験し、合格しました。

しかしながら、ここでも入学を拒否され、損害賠償請求を起こしました。

裁判の詳細は明かされていませんが、結果的に大学まで進学したとのことです。

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子供達の出版物

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著書を刊行しているのが三女と四女です。
一般人が知る由もない子どから見た母としての松本知子や父としての麻原を始め教団以外の側面から書いているのが特徴です。

姉妹間でありながら二人の両親への感情は全く異なっており、両極端な描き方が注目を浴びました。

三女 松本麗華の出版物

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姉弟の中でも先駆け的にSNSの運用を始めたのが三女です。

2015年に名前と顔を公表したことで話題となった著書「止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記」を出版。

しかし、この本の中では麻原のことを「大好きな父」だと表現していたため世論のバッシングが酷かったようです。

この著書は凶悪な教祖としての麻原ではなく父親としての違った一面を推し出したものであり、作中で「偉大な父」だったと書いています。

また、様々な事件に対する謝罪も全くないことから批判が集中します。

四女の出版物

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松本聡香のペンネームで著書「私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか~地下鉄サリン事件から15年目の真実~」を出版したのが四女です。

本を出版したのは三女よりも早い2010年。

この中で三女とは対照的に教団と麻原に対して痛烈な批判を行います。

三女とは異なり、虐待を受けていたことや、施設内で繰り広げられる生活の姿、教団が消滅してからのその後が綴られています。

遺骨の行方

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2018年7月6日に東京拘置所で麻原の死刑が執行されます。平成を揺るがした一大事件の教団教祖の死刑執行ということで特番や速報が駆け巡り数日はこの話題でニュースが持ちきりでしたね。
そこでさらに注目されたのが、麻原の遺体を親族の誰が引き取るのかという点です。

その人物によっては教団の後継団体と深い繋がりをもつものもあり、遺体が教団のシンボルとして利用されるのではと危惧されました。ですが、結局のところ現在まで麻原の遺体は誰の元にも引き取られていません。

家族はこの件に関してどのように考えているのでしょうか?

麻原との面会

逮捕された麻原に家族は面会に向かいます。中でも麻原を慕っていた次女と三女は多く通っていました。ですが、拘置所側から「麻原が面会を拒否している」との理由を告げられ会えなかったとのこと。

特に衰弱の一途をたどった1998年以降は面会したとしても一言も発せなかったそうです。

ですが、麻原に批判的感情を強く抱いている四女が面会に向かった際は会えたようで、言葉を交わすことに成功します。意思の疎通が可能だったのです。そこで四女は麻原の現状の病状は詐病であると確信を得ました。

次女三女と四女の対立

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子供達の中でも著書からわかるようにとりたてて三女と四女の意見は全く合いません。

特に親麻原派の次女と三女は母親である松本知子の精神的衰弱にも支えるべきだと考えていたようですが、松本側から縁を切られる形で絶縁したと2017年に公表しています。

反麻原派の四女に至っては両親共に憎悪の念が強く、松本には「産んでもらった恩はあるが、育ててもらった恩はない」との発言を残しています。

家庭裁判所に両親に対して推定相続人の廃除を申請する形で四女は絶縁することを選びました。

四女を遺体の引き取り人へ

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刑の執行間際に警務官が遺体の引き取り先を問うと麻原が答えたのが四女の名前だったと言います。

しかし遺体を引き取ることで教団との繋がりが生まれることを危惧した四女はこれを拒みました。

一方で、残る家族の松本知子と次女・三女・長男・次男は連名で遺体を引き取りたいと要望しましたが、これは拒否されます。

遺体の行方ですが、現在は東京拘置所内に火葬後、安置されています。この遺骨を巡って教団で利用されることのないよう四女は海への散骨を希望しています。

正妻と三女のその後

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麻原が遺体の引き取りを四女と指名したことを残る家族は刑務官の虚偽発言だと一掃しています。

確かに他の家族が面会に行った際は一言も言葉を発せない衰弱状態だったので、四女が面会に行った際にコミュニケーションが取れたということがにわかには信じられないのでしょう。

母、松本知子と次男は教団の後継団体アレフとの関わりが強く、資金援助受けている他次男が次期教祖へという候補に上っていたそうです。それを三女が阻止したのではと言われています。

三女に関しても発言に矛盾があり、松本知子と絶縁したと言っていたが遺体引き取りに関しては連名で要求書を作成しており、未だに教団との関わりがあることを隠すための嘘なのではと見られます。実際に公安は三女がアレフの幹部だとしており、三女はこれに対して虚偽であると裁判を起こしました。

正妻として生きた女

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予備校で出会い、貧しいながらも結婚し子供達と生活する中でまさか自らがこのような日本を揺るがす一大事件の首謀者の妻となるとは思わなかったはず。

なんども精神を病みながらも現在も遺骨に関して要求を行うあたり麻原への執着はまだ消えていないということなのでしょう。

家族の間でも麻原と松本への温度差は激しく、後継団体との繋がりも含めその動向が今後も注視されますが、事件によって犠牲になった方とご遺族の心情を今一度再考して欲しいと願うばかりです。

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