浅利慶太の死因の悪性リンパ腫とは?3度の結婚歴ありで奥さんや子供についても

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劇団四季の創設者で、演出家の浅利慶太(あさり・けいた)さんが13日、東京都内で亡くなっていたことが明らかとなりました。

浅利さんが亡くなる

産経ニュースほか、メディア各局が以下のようなニュースを報じ、話題となっています。

 ミュージカルの専用劇場建設や、日本初のロングラン公演の実現など、日本の演劇界に新風を吹き込んだ劇団四季の創設者で、演出家の浅利慶太さんが13日、死去したことが18日、分かった。85歳。

出典:産経ニュース

 

浅利慶太について

こちらが、亡くなった浅利慶太さんのプロフィールです。

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出典:斜め上からこんにちは

名前:浅利慶太(あさり けいた)

生年月日:1933年3月16日

年齢:85歳(※享年)

出身:東京都

職業:演出家、実業家

所属:浅利演出事務所

学歴:慶應義塾高等学校、慶應義塾大学文学部仏文学専攻中退

浅利慶太さんは、劇団四季創設者の一人であり、劇団の運営・管理に当たる四季株式会社の代表取締役社長・会長・芸術総監督をつとめたことでも有名で、劇団四季のミュージカル「キャッツ」や「ライオンキング」などのミュージカル上演を手掛けたことでも知られています。

1958年には、石原慎太郎さん、江藤淳さん、谷川俊太郎さん、寺山修司さん、永六輔さん、黛敏郎さん、福田善之さんら若手文化人らと「若い日本の会」を結成し、60年安保に反対していることでも知られています。

2014年6月に、劇団四季の四季株式会社の取締役社長を退任した後は、新事務所の浅利演出事務所を設立し社長へと就任し、劇団四季とは別に独自の演劇活動を開始していました。

また、政府の教育再生会議委員に就任するなど、多方面で活躍されていることでも知られています。

 

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死因は?

では、浅利慶太さんの死因は一体何だったのでしょうか?

報道機関の発表によれば、悪性のリンパ腫であったということで、それが原因で亡くなったのではないかと思われます。

悪性リンパ腫というのは、いわゆる血液のがんであるとされており、リンパ系組織から発生する悪性腫瘍のことを指します。

リンパ系組織は全身を巡っているため、肉腫及び癌腫の癌とは異なり、外科手術による切除は行わないのが一般的であり、に放射線療法および化学療法をするのが基本です。

リンパ腺が多く通っている場所が肥大したり、腫れたりすることが主な症状であるとされており、悪性腫瘍の中では、比較的抗がん剤が効きやすいガンであるとされています。

リンパ腫は全身に発生するというその性質上、治療を行ってもがん細胞が完全に消えるという証明が困難であるために、再発もしやすいく完治しにくいのが特徴であります。

日本人の2000年における年間推定患者数は約1万3000人、発生率は10万人におよそ10人程だそうですが、近年は増加傾向となっているのだそうです。

 

奥さんについて

そんな浅利慶太さんですが、ご家族はいらっしゃるのでしょうか?

浅利慶太さんの私生活は結構破天荒であったみたいで、3度の結婚歴があるのだとか。

1回目の奥さんは、満州ハルビン市出身で劇団四季の創設者の一人である藤野節子さんこと本名高畑 喜久子さん。

2人目は、NHK富山放送劇団員、松竹大船を経て1957年に劇団四季へ入団した、女優の影万里江さんこと本名鹿毛マリエさん。

最後の奥さんで、現在の奥さんとして知られているのが、野村玲子(のむらりょうこ)さんで、元劇団四季の女優さんで北海道旭川市の出身です。

2003年に浅利慶太さんは野村玲子さんと結婚をしているのですが、3人の奥さんとの間に浅利さんのお子さんがいらっしゃったかどうかについては、明らかとなっておりません。

俳優の浅利陽介さんが子供なのではないかとの噂があったのですが、それは完全なる勘違いであるとのことです。

 

日本にミュージカル文化を根付かせた

浅利慶太さんですが、それまで古典的な日本舞踊などの演劇が主流であった日本において、アメリカのショービジネスであるミュージカルの文化を根付かせた第一人者でもあります。

ミュージカルはもともと、パリで行われていたオペレッタが元となっており、それをアメリカのニューオーリンズで上演したことがきっかけとなって誕生しました。

浅利さんは「ウェストサイド物語」「コーラスライン」「ライオンキング」などの海外作品翻訳したのちに上演したり、「夢から醒めた夢」「ユタと不思議な仲間たち」「昭和の歴史三部作(「ミュージカル李香蘭」/「ミュージカル異国の丘」/「ミュージカル南十字星」)」などのオリジナルミュージカルを手掛けたことでも知られているのです。

また、1983年に初公演となった劇団四季の代名詞である「キャッツ」では、日本初となるロングラン公演を成功させるなど、日本演劇界に革命を起こしたとされているのです。

日本にミュージカル文化を根付かせた最大の功労者である浅利慶太さんに心よりご冥福をお祈りいたしたいと思います。

 

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