人気演芸番組「笑点」で長く親しまれた落語家で落語芸術協会会長の桂歌丸さんが、死去したことが明らかとなりました。
今回は、桂歌丸さんの死因などについて迫ってみたいと思います。
桂歌丸が死去
スポニチアネックスほか、メディア各局が以下のようなニュースを報じ、話題となっています。
落語家の桂歌丸(かつら・うたまる、本名椎名巌=しいな・いわお)さんが2日、亡くなった。81歳だった。横浜市生まれ。体調不良や病気を押して、日本テレビ「笑点」の5代目司会を長く務めた。
歌丸さんは16年5月に50年出演した「笑点」の司会を勇退。15年6月には床ずれの手術・治療などで入院し一時退院したが、その後も体調不良でね14日に再入院。原因は36キロまでやせて体力が落ちていたことに加え「腸閉塞」を起こし、歩くこともままならない状態だった。この後も入退院を繰り返していた。関係者によると体調によっては8月の国立演芸場への出演に強い意欲を見せていたという。
出典:スポニチアネックス
桂歌丸について
こちらが、亡くなった桂歌丸さんのプロフィールです。
芸名:桂歌丸(かつら うたまる)
本名:椎名 巌(しいな いわお)
生年月日:1936年8月14日
年齢:81歳没(※享年)
出身:神奈川県横浜市中区真金町(現:南区真金町)
師匠:5代目古今亭今輔 4代目桂米丸
名跡:1. 古今亭今児(1951年 – 1961年)2. 桂米坊(1961年 – 1964年)3. 桂歌丸(1964年 – 2018年)
活動期間:1951年 – 2018年
職業:落語家
家族:椎名冨士子(奥さん)
所属:日本芸術協会→落語芸術協会 オフィスまめかな(マネジメント・業務提携)
桂歌丸師匠は、人気演芸番組「笑点」の司会者などで広くお茶の間に愛され親しまれた落語家であり、その語り草と愛嬌で非常に人気のあった人物です。
中学2年の時に遊郭内の永真診療所で開かれた娼妓のための慰労会で春風亭柳昇の落語を見て落語家になることを決心し、祖母の知り合いの紹介で古今亭今輔に弟子入りをしたことがきっかけで、落語会に入門しております。
2年半ほど落語界から遠ざかっていたのですが、1961年に兄弟子の桂米丸さんに門下に移り米坊として出直しを果たすと、68年には真打ちに昇進するなど、目覚ましい活躍をしておりました。
1964年(昭和39年)1月、現在の「桂歌丸」に再改名していますが、由来については師匠である桂米丸さんが、桂歌之助以外の「桂」を名乗っている落語家で、芸名に「歌」が入る落語家が少ないため、芸名に「歌」を入れたと語っています。
日本テレビ系列の演芸番組である笑点では、前身番組の「金曜夜席』」の第1回から出演をしており、スタートした頃は、司会が立川談志師匠で、真打が談志師匠と5代目三遊亭円楽さんだけであったことから、引け目もあって歌丸師匠の雰囲気は陰気であったのだそうです。
三波伸介が司会になったころからやり取りがスムーズになり、番組の色や歌丸の雰囲気も変わっていったのだそうで、いわゆるいじられキャラへと変貌を遂げていきます。
笑点では、2006年には五代目円楽さんに代わって5代目の司会者を16年まで務めており、6代目円楽さんや他の若手笑点メンバーに散々いじられて笑いを取るなど、みんなに愛された人物でもありました。
死因は?
では、死因は一体何だったのでしょうか?
報道機関の発表によれば、死因は肺炎であるということで、過去には以下のような病に冒されているのです。
1973年:脱腸で手術
2001年:急性腹膜炎で手術
2006年:腰部脊柱管狭窄症で手術
2009年:肺気腫の感染で入院
2010年:肺炎で入院
2012年:再び腰部脊柱狭窄症で手術
2014年:慢性閉塞性肺疾患で入院、退場発疹で再入院
2015年:腸閉塞
2016年:肺炎になる
2017年:肺炎で再度入院、肺炎で再々度入院
2018年:肺炎で死去
桂歌丸師匠は、自他共に認める愛煙家であったのだそうで、52年間一度も断ったことがないのだと言います。
肺炎で3度も入院するほどのヘビースモーカーとして知られており、1日60〜70本も吸っていたのだとか。
そのタバコが原因で、慢性閉塞性肺疾患(COPD)となったり肺炎などで入退院を繰り返しており、最近では病気が原因で桂歌丸師匠は体重が36kgまで落ち込んでいたのだそうです。
慢性閉塞性肺疾患(COPD)について
歌丸師匠も悩まされていた、慢性閉塞性肺疾患(COPD)とは一体どのような病気なのでしょうか?
慢性閉塞性肺疾患(COPD)とは、主にタバコなどが原因で肺機能が徐々に低下していき、肺胞と呼ばれる肺の中で血液とガスを交換する器官が破壊され、空気中の酸素を血液中に取り込む力や、逆に身体から二酸化炭素を排出する力が弱まり、酸素の欠乏や血液の酸性化をきたす病気です。
日常生活に支障をきたすほど、呼吸が苦しくなる他、鼻にチューブをさして酸素を補給せずにはいられなくなるなど、非常に多くの弊害をもたらすことでも知られています。
歌丸師匠は、この病気にかかるまでタバコを吸い続けていたのだそうで、やはりヘビースモーカーともなれば、こうした弊害と隣り合わせになってしまうのかと思ってしまいます。
奥さんについて
出典:ameblo.jp
桂歌丸師匠ですが、冨士子夫人という奥さんがいらっしゃり、神奈川県の真金町出身の歌丸師匠より4つ上の先輩であるということです。
1989年に歌丸師匠が座布団10枚の賞品として獲得した「クィーンエリザベスIIの夕べ」にて美女とクルージングをすることとなったのですが、その美女こそが冨士子夫人であり、後ろ姿のみ出演で顔は出していませんでした。
そのため、笑点では「謎のヴェールに包まれた人物」とされている他、笑点では恐妻家として恐れられており、それをいじられたりもしています。
ちなみに、奥様は歌丸師匠が最後の出演となった2016年5月22日の笑点の生放送に、観客として参加しています。
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