出典:JNN
前橋市の老人保健施設に出産したばかりの赤ちゃんの遺体を紙袋に入れて置き去りにしたとして、42歳の母親の小林千秋(こばやし ちあき)容疑者が逮捕されました。
出産後に赤ちゃんの遺体遺棄
産経ニュースほか、メディア各局が以下のようなニュースを報じ、話題となっています。
前橋市の老人保健施設前で紙袋に入った新生児の遺体が見つかった事件で、群馬県警前橋署などは4日、出産した新生児を置き去りにしたとして、死体遺棄の疑いで、住所不定の無職、小林千秋容疑者(42)を逮捕した。調べに対し、「処置に困り、供養してほしかった」と容疑を認めている。
逮捕容疑は1日午後6時半ごろ、同市内の公園トイレで出産した新生児の遺体を紙袋に入れ、同市上新田町の老人保健施設の裏口に遺棄したとしている。
同署によると、司法解剖で新生児の死因は判明しなかった。小林容疑者は「出産時に死んでいた」と供述している。
防犯カメラの映像解析などで小林容疑者が浮上。3日深夜、同市内のインターネットカフェで身柄を確保した。
小林容疑者は独身で、妊娠に気付いていたが、産婦人科で受診していなかった。「家族や友人、誰にも知られたくなかった」と供述しているという。
出典:産経ニュース
小林千秋容疑者について
こちらが、逮捕された小林千秋容疑者のプロフィールです。
名前:小林千秋(こばやし ちあき)
年齢:42歳
職業:無職
在住:住所不定
小林容疑者は、今月1日夕方、前橋市の老人保健施設の入り口に女の赤ちゃんの遺体を紙袋に入れて置き去りにし、遺棄した疑いで逮捕された、住所不定無職の女性です。
小林容疑者は、前橋市内の公園のトイレでその日に出産したばかりで、身長54cm、体重はおよそ2500gだったということです。
防犯カメラの映像などから、小林容疑者の犯行が浮上したとのことで、近くのインターっとカフェにいるところを取り押さえられています。
ちなみに、顔画像などの情報は入ってきておらず、また、特定するにも至りませんでしたので、こちらに関しては詳しい情報が入り次第随時お伝えしていきます。
犯行動機は?
では、一体犯行動機は何だったのでしょうか?
報道機関の発表によれば、警察の調べに対して「私がやったことに間違いない」と容疑を認める供述をしているほか、「処置に困り供養してもらいたかった」とその犯行動機を語っているそうです。
処置に困ってしまったということは、望まない妊娠だったのでしょうか?
42歳で出産をするというのは一般的に考えて、高齢出産でありますし、本来であるならば、我が子の可愛い姿を見て、感動し幸せな気持ちに包まれるのではないかと思われますが、そうしたこともなく、生まれた瞬間に処置に困ってしまうということは、やはり望まない妊娠であった可能性が非常に高くなるでしょう。
さらに意味不明なのが、老人保健施設に供養してもらうために遺棄しているあたりです。
何人も、生きている人間を殺めることは決して許されることではありませんが、もしも仮に供養を試みるのであれば、仏陀の精神を受け継ぐ仏教か、神道を受け継ぐ神社にて行うべきなのではないでしょうか?
仏教の教えには供養はない?
前述した通り、多くの日本人は供養するならお寺にお参りしてするべきなのでは?と思っている方がいらっしゃると思いますが、それは誤解です。
大半の日本人は、先祖供養は仏教本来のものであり“シャカの教え”であると信じているほか、お盆の墓参りなども、仏教の習慣そのものであると勘違いしています。
先祖供養もお寺にある先祖代々の墓も、毎年定期的に行われるお盆の行事も、お釈迦様つまり仏陀の教えとは無関係であります。
仏教について
仏教とはもともとお釈迦様の教えを説いているものであり、世界三大宗教の一つに数えられています。
世界三大宗教とは、キリスト教・イスラム教・仏教であり、仏教のみが無神教といって信仰の対象が神様ではないのが特徴です。
仏教がそのほかの2つと決定的に異なるのが、宗教の在り方です。
キリスト教とイスラム教は死後の世界を説いているのに対して、仏教に関しては現在生きているこの世界での生き方を説いています。
いわば哲学です。
仏教を始めたとされるお釈迦様(仏陀/ゴーダマ・シッダールダ)は、死後の世界のことなどは一切説いておらず、生きているのは苦しいことばかりであると説いたのです。
そもそも生きていることが苦しいものであるとしているので、生まれてくることが苦であり、人は生まれてから老いていくことも苦であると考え、病気や死ぬことをも苦であると考えられているのです。
この「生・老・病・死」を合わせて四苦と呼び、愛する人と離れなければならない苦しみの「愛別離苦(あいべつりく)」、憎たらしい人や嫌いな人と合わなければならない「怨憎会苦(おんぞうえく)」、欲しいものが手に入らない苦しみの「求不得苦(ぐふとっく)」そして、肉体が存在するがゆえに起こりうる様々な苦しみの「五陰盛苦(ごおんじょうく)」とを合わせて、四苦八苦と呼ばれているのです。
つまり、仏教では「死とともに肉体は単なる抜け殻になる」と考えられているために、抜け殻になった死体は無用長物であるので、火葬にして捨ててもよいということを容認しています。
いずれにしても、供養をするために老健施設にいくのはもってのほかですし、こうした赤ちゃんの死体遺棄をすることは最低の行為ですので、これは仏教においても俗世間においても然るべき裁きが降ることでしょう。
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