佐喜眞保(さきまたもつ)の衝撃の生い立ち!体罰がきっかけでCBブレースを開発!アンビリバボーで特集が!

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フジテレビ系列の特集番組「奇跡体験!アンビリバボー(2017年10月12日放送分)」で、沖縄県の町工場で佐喜眞保(さきま たもつ)さん夫婦が自立歩行不可能と言われた半身不随の女性を歩けるようにする装置である、CBブレースの開発秘話について特集します。

今回は、そんな佐喜眞さんがCBブレースを開発するに至った経緯や、幼少期の辛い体験などについて迫ってみたいと思います。

アンビリバボーで特集が

こちらが、アンビリバボーの内容です。

沖縄県金武(きん)町にある工場で造られるCBブレースという装具をつけることで、それまで歩けなかった人が歩けるようになるという。その装具の生みの親は、佐喜眞保さん。幼少期、背骨が変形する脊椎カリエスという病気にかかり、自分に明るい未来などないと孤独な日々を送っていた。そんな時出会ったのが、のちに妻となったマチ子さん。彼女は脳性麻痺を患い、歩くのが不自由だった。妻の支えもあり義肢装具士になった佐喜眞さんは、その後、多くの患者たちに奇跡を起こす!感動の実話物語。

出典:フジテレビ

 

佐喜眞さんの生い立ちについて

CBブレースを開発した佐喜眞保さんは、幼少の頃よりやんちゃであり、先生から怒られることもしばしばあったのだそうです。

そうした中で、なかなかん自分の非を認めない佐喜眞さんに対し、当時の先生は体罰を与えたのだそうです。

その体罰の内容とは「膝の裏に竹ボウキの柄を挟んで正座させる」というもので、さすがのやんちゃ盛りの佐喜眞さんも自分の非を認めるほどのキツイものだったと言います。

現代では社会問題になりかねないレベルの体罰ですが、この体罰のおかげでCBブレース開発のヒントとなることは、佐喜眞さんが知る由もありませんでした。

 

中学卒業後定時制高校へ

佐喜眞さんは中学校卒業後、定時制高校へ入学しますが、紆余曲折あって自主退学をし、横浜の親戚の元へ預けられましたが、そこから逃げ出してしまいます。

そして、北海道帯広市にむかいうことになります。

なぜなら、現在は廃止になっている旧国鉄が私有していた広尾線にある「幸福駅」に向かったからです。

NHKのドキュメンタリー番組である「新日本紀行」の「幸福への旅〜帯広〜」で、「愛国駅」と「幸福駅」が紹介されたのをきっかけに、それがブームとなり、佐喜眞さんも愛と幸せを求めて向かったのです。

母が持ってる甘〜い駅の名前の切符。#愛国から幸福ゆき #甘〜い #実在した #ブーム

Kazuhisa Hirataさん(@o_kazu23)がシェアした投稿 –

しかし、当時ナビやスマホなどのGPSを搭載した地図もなかったことから、佐喜眞さんは列車を間違えてしまい、誤った方向に向かってしまったのです。

そうこうしている間に、所持金が底をつき、たまたま下車した「石狩当別」という駅で働かざるを得なくなったしまいました。

幸いなことに、鉄工に関してはそれなりの腕があった佐喜眞さんは、駅近くにあった鉄工所で働くことにしましたが、後にこの鉄工所では佐喜眞少年の運命を変えることになるのでした。

 

石狩の鉄工所での運命の出会いとは

佐喜眞さんは、143cmという小柄な体であり、幼い頃に「脊椎カリエス」という病気によって背中は大きく湾曲しています。

そのため、小中学校時代はからコルセットを着用し、母親のサポート受けて生活するのが必要なほどだったのですが、そんな小さな体でも力仕事をこなす佐喜眞さんを、その鉄工所の社長さんが大変気に入ったのだそうです。

そこで、その社長さんの娘さんであるマチ子さんと出会うことになるのですが、マチ子さんは脳性麻痺を患っており、歩くのが不自由だったそうです。

ですが、やがて交際へと発展し、2人は結婚をすることになります。

仕事に慣れだした24歳の頃、勤務中に高さ8メートルの場所より落下してしまい、背中を強打したのです。

病院に運ばれ、一命を取り止めましたが、下半身不随の影響も懸念されるほどでした。

しかし、その際に持病である「脊椎カリエス」の処置も施されただけでなく、背骨を矯正したために身長が2cm伸びたことに大変驚いた佐喜眞さんは、同じ医師に2回の再手術の依頼をだしたほどでした。

医師の治療に感動した佐喜眞さんは、自分も人に喜んでもらえることを仕事にしたいと思い、モノづくりで社会貢献することを決意します。

そこで、義肢装具士の学校に通い、驚くべきスピードで技術を取得したのでした。


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独立を決意

佐喜眞さんは1980年に故郷である沖縄県宜野湾市で、義肢装具の会社を立ち上げます。

しかし、設立時は順風満帆ではなく、義足の作成の受注も期待したほどできずに、借金が膨れるばかりであったそうで、奥さんのマチ子さんが常に債権者に謝っていたのだそうです。

しかし、不思議とマチ子さんが謝りに行くと債権者は怒ることはなく、穏やかな表情で帰って行ったそうで、これはマチ子さんの人柄がそうさせているのでした。

 

とある夫婦が訪れる

仕事がなかった佐喜眞さんですが、義肢装具士としての技量が評価されており、そんな最中とある夫婦が訪れてきます。

その夫婦は、40代の奥さんが脳出血で半身麻痺となった結果、尖足と呼ばれる足の甲が伸びて正常に歩けない症状を患っており、車椅子生活を余儀無くされていました。

そんな中で、旦那さんはなんとか奥さんを歩けるようにさせてあげたいと切望していたのです。

しかし、あらゆる策を試行するも、それが失敗に終わり、万策がつきたところで「もう無理です。すみません」と謝り、その夫婦は悲しそうに帰ってったのでした。

体罰がヒントに

従来の装具機器であるスウェーデン式装具の問題点として、膝を曲げると痛みを伴うということがありました。

そこである日、佐喜眞さんは少年の頃に先生により受けた、「膝の裏に竹ボウキの柄をはさんで正座させられる」という体罰を思い出したのです。

「膝の裏に細い支えを付けて、それを支点にすれば膝を安定できるのではないか?」

こう考えた佐喜眞さんは、早速試作品の作成に取りかかりました。

そんな中でプロトタイプが完成し、奥さんであるマチ子さんに装着したところ、自力で歩けなかった奥さんが歩けるようになったのです。

そしてついに、1999年におよそ1年半を費やし、体罰をヒントにしたオリジナルの膝装具である「CBブレース」が完成し、特許をとったのです。

これは、九州地方発明奨励賞、2001年には文部科学省の「文部科学大臣賞」、2005年に、第1回ものづくり日本大賞「経済産業大臣賞」などを受賞すほどのものとなったのです。

 

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