災害の記憶を風化させないために求められている「2.5人称の視点」とは?

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戦争や、震災などの災害、さらに悲惨な事件や事故など、様々な出来事が起こります。

東日本大震災から6年、太平洋戦争からは70年あまりの月日が経過しました。

阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件など、日本の歴史に残る大災害や事件は忌まわしい記憶として

我々の脳裏に焼き付いています。

しかし、それらは月日の経過とともに過去のものとして、風化されていきます。

そしてそれらはどこか、人ごとのように思えてくるのです。

今回はそんな惨劇を風化させない考え方「2.5人称の視点」についてご紹介します。

 

 


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他社の痛みを理解する

 

とある新聞の「現論」のコーナーに以下のような記事が掲載されていましたのでご紹介します。

この記事は12年前の2005年のものですが、素晴らしいお話が掲載されています。

記事を執筆されたのは、ノンフィクション作家の柳田邦男さん。

柳田さんの唱える「2.5人称の視点」とは一体何なのでしょうか?

 

 

 

 

ー中略

 

戦争や災害、事故が一段落すると、責任ある立場の人は必ず、

この惨禍を繰り返しませんから」と誓う。

だが、安心、安全な世界はいまだ、実現されていない。

周忌がめぐることの意味を、今年はしっかりと考えるべき年ではないか、と私は思う。

歳月が経る中で起こることを、人は風化という。

岩石でさえも、長い年月の中で風雨に打たれて崩れていくように、

人の戦争体験、災害・事故の体験も、年月の流れとともに忘れられていく

体験の風化には、二つのメカニズムがある。

一つは、人はそれぞれに自分のことに忙しく、他者の痛みへの共感は、すぐに薄れていくということ。

もう一つは、社会を構成する世代がどんどん若くなり、

惨禍を過去のものとしてしか知らない世代が大勢を占めるようになることだ。

 

 

■風化の速度

 

戦後60年が問うものは、そこにある。

60年とは日本社会では平均的な定年の年だ。

それは戦争を体験として知らない世代が、この国を支える労働人口のすべてを占めるようになることを意味する。

オピニオンリーダーもまた、同じ世代交代が進み、情報と論理ばかりが闊歩し始めている。

広島・長崎の被爆体験、沖縄の自決惨劇体験、東京などの無差別焼夷弾爆撃の恐怖体験などを語り継ぐ人々が高齢化し、少なくなっている。

ケータイ・ネット世代の若者たちはバーチャルな殺し合い映像を面白がり、体験者の語りには退屈な顔を向ける。

災害や事故の風化はもっと速い

他社の痛み、人間の悲劇を、体験せざるものが理解するには、想像力が必要だ。

音楽に魂を揺さぶられるような理解の仕方。

仏教の慈悲の心に通じる想像力を持つには、

乾いた第三者(三人称)の目で見るのではなく、

自分が被害者(一人称)その家族(二人称)の立場だったらどうなのかという、

私がかねて提唱してきた

 

.5人称の視点冷静な客観性を維持しつつも、被害者・弱者に寄り添う視点

 

こそが重要だと思う。

学校教育や職業人の研修で、そういう視点の教育が積極的に取り組まれることを望む。

 

 

 

風化させないために

 

柳田先生による素晴らしい意見です。

どうしても、自分と関係ない災害や、事故の場合、どこか人ごとのように思ってしまいます。

表面上では、心配している”つもり”でも、四六時中そのことだけを考えている人などいないと思います。

しかし、柳田先生のおっしゃる「2.5人称の視点」を持つことにより、

冷静に物事を見れる面と、被害者やその家族のことを思う面との両方を考えられるようになると思います。

戦争・震災・災害・事件・事故のような、忌まわしい記憶を風化させないためには、

2.5人称の視点」を持つことが大切なのではないでしょうか?

 


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